2008年5月25日日曜日

My favorite 4




Sanson の Antique shop

私は小さな街をぶらぶらして antique shop を見つけたら、思わず飛び込んでしまう。たいていの場合、見るだけでお店にとってはありがたくない客だが。

palmy 市街地から北西に15分も走るともう道路の両側は一面のどかな緑一色の牧草地帯に入る。羊がのんびり草を食む景色を見ながらなお15分ほど走るとやがて牧草地から、小さな教会やガソリンスタンドの立ち並ぶ通りへと景色が変わる。Sanson という人口500人ほどの小さな町(村?)だ。
中心の交差点の右側手前に、antique shop "B.B. French Ltd." がある。外観はとりたててantique な構えではないが、中は、ヴィクトリア王朝時代の英国やフランスの重厚で贅沢な雰囲気をいっぱいに漂わせ、ベッドやソファ、飾りだななどの家具類、グラス、カップ、スプーンやナイフのセット、その他諸々の食器類、絵画、アクセサリー、などで満ち溢れている。全てが骨董品というわけではないが、センスの良いものを揃えて置いてあるので、一つ一つ見て歩くとすごく楽しい。欲しいものがあっても、値段を見れば衝動買いの対象にはならないが、眼の保養に、たまに訪れたいお店の一つだ。でも、こんな誰もあまり訪れない小さな村でお店が成り立っていくのか心配になる。願わくば、(あまり、観光化されてもいやだけど)私みたいな冷やかし客ばかりでつぶれたりしないでいて欲しい。

2008年5月23日金曜日

語学学校と日本の若者 3

コメントいただいた語学学校の意義について少し書いてみたい。NZの語学学校は、その60%がAuckland に集中している。本来、NZの語学学校は、bridging school と言って、英語を第1言語としない人が英語を学び、 IELTS(国際英語力試験)を受けて正規留学の資格を得るところだが、実際、日本人の場合、Working Holiday (ワーホリ)システム を利用して来て語学学校に行く若者がその大半ではないだろうか。ワーホリは、18~30歳以下(NZの場合)の若者に受入国が最長1年間働きながら滞在できるビザを発給し、大いに異文化体験をして成長してもらおう、という目的で数カ国(現在9カ国)が協力して行っているシステムだ。このシステムは、NZでは 制限 があるので語学を学ぶという点では中途半端な「経験する」だけのものになるだろうし、仕事は、主に、日本食レストラン、fruits picking (果樹園で果物収穫の仕事)、女の子だと、オーペア(住み込みで子供の世話をする)など、英語が得意でない日本人の職場は少ない。

ワーホリシステムを利用して異文化に触れる機会を与えられた若者は、大いに世界を見て、聞いて、何か掴んで帰って欲しいと思う。 だが、単に親元から羽根を伸ばして遊びまわっている若者も多いのではないだろうか? NZのテレビ番組、移民局が不法滞在者などを摘発していくドキュメンタリーで、日本の女の子が不法入国で日本に強制送還された事件が on air されたことがある。それまで、この番組で摘発されているのは中国や、東南アジア系の人たちばかりで、日本人は見たことがなかった。彼女は、ワーホリで1年間NZに滞在した後、ビザが切れ、一旦オーストラリアに出国し、3日ほどでまたNZに入国しようとして取調べを受けたということだった。

NZは、最長9カ月まで訪問者ビザを延長できるが、その後、9ヶ月間は入国できないことになっている。ワーホリの場合、条件を満たせばもう3ヶ月の延長は可能だが、彼女はそのビザも持っていない。違法入国だと言う係官の説明があまり理解できないのか、かなりトンチンカンな受け答えをする。係官は、彼女はあまり英語が理解できていないようだと、通訳をつけて違法だということを説明する。何故またNZに入国しようとしたかの問いに、「妊娠しているので相手の Kiwi のボーイフレンド(?)に会いに戻って来た」という。相手は、全くそのことを知らないと言う。旅の恥は掻き捨て?なのか、わびれる風もなく妊娠していることを何度も繰り返す彼女に、日本人も変わったものだと、妙に感心してしまった。結局、その彼に会えるわけもなくそのまま日本に強制送還された。

この彼女は稀な例かもしれないが・・・Auckland の Queen street を歩くと、たくさん日本の若者がかたまっておしゃべりしているのに出くわす。「お金な~い!」「親に電話して送ってもらおうか・・・」「教材費が要るって言えば?」「その手はこの前使ったしね~」こんな会話が聞こえてくる。

この子達の日本の親御さんは、自分の子供は海外で英語が ”ペラペラ” になって帰ってくる、と期待しているんだろうな・・・と、やりきれない気持ちになる。もちろん、専門的な勉強をしてその技術を生かしてNZでそのまま働いている若者も多数いるし、頑張ってdiploma(大学(4年間)の卒業証書)を取得した若者がいたのも知っている。青い眼の子供を生みたいと、海外にボーイハントに行く日本の若い女性が多いと聞くが、願わくば、妊娠というお土産を持って帰った女の子も、ワーホリで何か学び取って次への飛躍のステップにして欲しいと思う。

2008年5月22日木曜日

Palmy 8


郊外の美しい街 
Fielding


Palmy から車で30分位の郊外にある Fielding は、NZで最も美しい街のひとつに挙げられたこともある小さな街だ。街の中心の時計塔がシンボル(写真)の、古い建物が保存された街並みが美しい。
飛び抜けて素敵なおしゃれなお店があるわけではないが、コーナーの小さな take away (take out:持ち帰り) のお店でミートパイか何か買ってほおばりながらのんびり歩いてウィンドーショッピングするのも楽しい。何しろ規模が小さいから疲れるほど歩く必要もない。Little Theatre (右写真:小さな劇場) で、何があってるのだろう。一度、覗いてみたいものだ。こんな地方の小さな街を歩きながら何か発見すると楽しくてワクワクする。観光ルートにないところで新鮮なNZを発見するのは楽しい。

2008年5月20日火曜日

NZ事情 4


不動産ブーム
Riverdale 沿いの家

NZはこの7~8年、不動産売買のブームで家の値段は高騰してなかなか下がらない。家のmortgage (ローン) は、9%以上(預金利息が8~9%)で、若い人は家を買うのもままならないようだ。11 年前、私が Auckland に住んでいた時、500万円も出せば小さな家(と言っても最低100坪はあるだ ろう)の1軒も買えると、不動産の安さにびっくりしたものだ。 先週散歩をしていたら、Riverdale 沿いの大きな家が売りに出ているのに気付いた。週末に出る、不動産の新聞広告(紙面10ページ以上にびっしり売りに出た家の写真が載っている)にこの家が載 っていた。土地の広さは、書いていないがおそらく 200~300 坪というところだろう。
広告の説明によると:4double bedrooms +HUGE rumpus room, 3 separate living areas, 2bathrooms, large 3 garaging, exceptional family living・・・4ダブルベッドルーム、広いランパスルーム(子供の遊び場にもなる多目的室)、3つの独立した居間空間(それぞれの寝室に付随しているのかな?)2浴室、広い3台の車が置ける車庫、家族用リビングルーム・・・ざっとこんなところだ。

tender(入札)で買い手を募集しているが、401,000 ドル以上のカテゴリーに載っていたから、日本 円ですると、85円で計算して3400万円以上になる。数年前だったら、この家も1500万円くらいで買えたのだろう。10年ほど前、隣とくっついてカーテンも開けられないような狭苦しい100坪ほどの土地に 建った家を、1億円で売り出してたちまち売れてしまった日本の住宅事情からすると、うらやましい ほど安いと思われるだろうが、(かつて、一生に7度は引越しをするというのが一般的な Kiwi の生態(?)だった)NZの庶民には、高騰した不動産と mortgage で、好きな引越しもままならないようだ。

2008年5月18日日曜日

Palmy 7


秋の街路樹
写真は、Palmy 市内の大通りのひとつ、Victoria Avenue の様子。 街路樹がトンネルのように道路を覆っていて、秋になると紅葉して通りを落ち葉が埋め尽くす美しい通りのひとつだ。
市内の主要道路には、写真を拡大して見てもらうと良く分かるが、住宅の前に歩道があり、歩道の道路寄りに芝生の並木道。その横は車を停められるスペースがあり、その横に自転車専用道路、そして、車用に1車線とってある。
自転車専用道路は、全部の道路というわけではないが、比較的広い道路には、昨年から2車線のところを1車線にしたりして新設されたもので、Cyclist (サイクリスト)の安全を守るためと同時に、排ガス規制のためにできるだけ自転車を利用しましょうという、市の環境政策のひとつだ。こういった贅沢な道路の使い方ができるのも人口の少ないNZならではだろう。車優先の狭い日本の道路事情を考えると羨ましい限りだ。

2008年5月16日金曜日

語学学校と日本の若者 2


Massey Univ.(Palmy)の卒業式

今週、月曜日(12日)から金曜日(16日)までマッシー大学の卒業式が、例年のように歴史的な建物、Regent Theatre で催された。私は、昨年、卒業式のある1日に出席する機会に恵まれたことがある。英国の伝統にのっとった式が、素晴らしい荘厳な Regent の舞台で行われた。黒い角帽に黒いガウンを着た卒業生たちがひとりひとり学部長から祝福と卒業証書を受けるのを見るのは他人の子供たちと言えども思わず涙が出そうなくらい感動的な光景だった。

私自身がNZの大学で学んだたった2年間だけでも大変な思いをしたという経験から、卒業式の重さがひしひしと伝わってくるからだ。結構年配の卒業生もいた。マオリ人の学生は、民族衣装の鳥の羽根で覆われたガウンを着て誇らしげに舞台に立った(写真上:2007年5月撮影)。卒業名簿を見ると外国からと思しき学生も多い。中国人の名前もたくさんあった。でも、日本人の名前は、探したが、見つけることができなかった。

今年、ここ Palmy のMassey からは、1500人以上の学生が卒業していくという。新聞に掲載されている名前を探してみたが、日本人らしき名前は全くない。Palmy には、たくさん日本人学生がいるのに、Massey に学ぶ学生はひとりもいないのだろうか?正規留学と言うと、日本人は皆、米国や英国に行く?それとも、留学とは、日本人にとっては、語学を学ぶことなのだろうか? 中国人がどんどん大学の専門課程を終え、NZの色々な企業に就職しているのを見るにつけ、日本人は?と、寂しい気持ちになってしまう。日本の若者に、もっと目的意識を持って海外に学びに行って世界で活躍して欲しいと思うのは、私だけだろうか。

Palmy 6


Riverdale の散歩コース
リバーデール(川)は、私の住んでいるところから歩いて5分ほどのところにあり、 川に沿って土手を右に5分も行けば Panerie Park (パネリ公園)、左に10分くらい歩くと Esplanade Park (エスプラナード公園)の裏側のウォーキング兼サイクリングコース入り口にたどり着く。この辺りは私の好きな散歩コースだ。たいてい、左へのコースを往復1時間くらいかけて歩く。ウォーキングコースは Esplanade のBush に沿ってあるのでNZの野鳥 Tui や Bellbird、Thrush などが、美しい爽やかな声で鳴いているのを聞きながら歩くと知らないうちに往復1時間以上歩いてしまう。

右のコースを行ったところにある Panieri Park は、夕方人が少なくなった頃行くと、たまに野うさぎが公園の横のブッシュから反対側の茂みまで一目散に駆けて逃げるところに出くわすことがある。Hedgehog (ハリネズミ)もちょろちょろ出て来る。ハリネズミは人に出会うと、逃げずにその場で、針の外套を突き立てて丸くなる。棒でつついてちょっかい出してもじっと動かないのでかわいい。連れて帰ってペットにしたくなる。Hedgehogs を実際お庭で飼っている人がいるというのを新聞で読んだ。お庭の野菜や花の大敵 slags (ナメクジ) や snails(カタツムリ)を食べてくれるのだそうだ。
(写真上:Riverdale の土手から、遥かに Manawatu wind farm を望む。右写真欄にhedgehog)

2008年5月15日木曜日

語学学校と日本の若者

Aucklandにて
最近、中国や韓国の語学熱は遥かに日本のそれを凌いでいるように見える。たくさんのアジア人が NZ の語学学校に勉強をしに来ている。中でも中国人はとても熱心で、覚えたての単語を駆使して一生懸命英語でしゃべろうと努力する。初対面の私にどんどん質問攻めしてこちらがタジタジするほどだったがたちまち親しくなってしまったセリーナもそんな中国人の一人だ。その時、彼女はまだ、NZ に来て半年ほどだとのことだったが、すごい中国語訛りの英語で、誰にでもどんどん話しかけ、質問をする。そんな彼女には Kiwi も喜んで話し相手になってくれるのでますます上達する。

反対に、日本人はどうも話しかけることが苦手なようで、どのホストファミリーに聞いても、日本人の子はおとなしくてちっともしゃべらないから気持ちが解らないと言う言葉が返ってくる。特に男の子にその傾向が強いようだ。男の子の場合、ホストファミリーを探すのも大変だ。男の子はお断りというホストファミリーが多いからだ。女の子は、きちんと部屋を片付けたりキッチンを手伝ったりして歓迎されるようだが、男の子はしゃべらないし、片付けないし、扱いにくいらしい。特にタバコを吸う子は嫌われる。

いずれにしろ、語学学校はおかげで大はやりだが、それだけに競争も激しいようだ。Auckland の郊外 Albany で語学学校を経営するポールも生徒集めに一生懸命だ。まだ開校して数年だが、それだけに取り組み方もまじめで、親身になって相談に乗ってくれるし、きめ細かな指導で、融通が利くのでかえってマンモス語学学校に通うよりもよいかもしれない。最低1週間から体験留学も可能なので旅行中に語学学校を体験してみたい人にもお勧めできる。

いつだったか、日本から大学生が卒業旅行で2週間ほど Auckland に来て、友人の家にホームステイしたことがあった。彼は、なんでも体験してみたいとのことで、まず Rotorua を2~3日旅行した後、Albany に来て、それから語学学校も体験したいとのことで、ポールの学校に入れるよう友人が手配をした。1週間の体験学習だが、NZでは学校に入学する場合、必ず完全な保障のある保険に入ってこなければならない。彼に聞くと、入っているかどうか知らないと言う。聞けば、旅行のお膳立ては全て、彼の母親がしたから分からないとのことだった。結局、友人があれこれ母親に連絡を取ったりしたがあいまいで、(当然)旅行前に保険に入っているはず、ということで入学の許可が下りたのだが、なんでも母親任せというのにはいささか驚いた。

聞くと専攻は英文科だという。学校が終えて、感想を聞くと、「テキストの勉強は易しかったけど、free talkingになるとわからなくてお手上げだった」そうだ。就職も決まっているとのことだったので、ホストファミリーのご主人(Kiwi) が、英語で彼に「就職先ではどんな仕事をするのですか?」と聞くけど、反応がない。質問の意味が分からないのかと思って、私が日本語で聞いてみるけど、やはり返事がない。こちらまで、ン???となって、もしかしたら、仕事の種類を表す英語が分からないのかもしれないと思って、具体的に「貿易?」「電気関係?」とか質問してみると、しばらく考えた後、日本語で、「親のコネで入ったのでよく分かりません」と、のたもうた。周りの皆も、しばらく彼と同じ失語症に陥ってしまった。

このボーイが特別なのだろうか?最近の日本の若者をみると、どうも、情けない男の子が多すぎるように思える。男の子は、何かボーとしていて、気が利かないし、頼りないし、環境にもなじめず孤立してしまう。それに比べると、女の子は、まだ積極的で、海外に出てもすぐに環境になじんで、ボーイフレンドをすぐ作って?英語もすぐ上達する。このように、強い女の子たちがやがて強い母親になって男の子を支配し、日本男児はますますひ弱に育っていくのでは?と日本の未来を憂えずにはいられない。

2008年5月14日水曜日

NZ事情 3

季節感
なんて、この国に来たらあまり関係ないようだ。一日に四季があるとよく言われるとおり、夏でも昼間暑いかと思うと、夜は冷え込むといった具合。その年にもよるけど、12月でも、夜は寒くて、冷え性の私は足が朝まで暖まらず、湯たんぽを使っていたことがある。寒いといっても、ここ北島では冬でも凍るほどの寒さではないので、どこも暖房は、簡単な電熱器タイプのものかオイルヒーター、せいぜい良くてガスヒーターだ。ホテルなど電気毛布を備えているところが多いが、私は電気毛布は嫌いなので小さな英国製のゴムの湯たんぽ(
最近日本では見られなくなったけどこちらでは、スーパーマーケットに行けば4ドル(今1ドル80円前後)くらいで売っている)のを好んで使っていた。お湯を入れたら、丸いねじ込み式の栓をはめる。お湯が漏れないか心配だったが、全く大丈夫。

日本では、6月には、衣替えをして、夏にウール物など着ない(暑くて着れない)し、冬はコットンなど寒くて着れないけど、NZは違う。皆、1年中同じものを着ている。半そでTシャツに寒ければ上にせいぜい1枚重ね着をするだけだ。5月に入って雨が多くなり、寒い日が続いている。私が、寒がり?のせいか、長袖シャツにセーターを着て、厚手のフリースのジャケット、厚いソックスといういでたちで、買い物に行くと、半そでTシャツに半ズボンだけのおじさんが、買い物に来ていたりする。一人なら、変わり者だと思うくらいだが、結構そういういでたちの人が多いから、驚く。冬でも、お天気が良くて暖かいと海で泳いだりしている人がけっこういる。この国の人たちは ”1日に四季がある”から、季節感というものとは縁がないのかもしれない。

誰かがNZに来る時、いつも衣類は何を持っていったらいい?と聞かれるが、夏でも、ジャケットは持ってきたほうがいいとアドバイスする。日中、暑いからといって、夜が暑いということはまずない。陽が落ちると肌寒くなって、ジャケットが欲しくなる。年にも依るが、1月(真夏)に雹が降ったなんてこともよくあるからだ。

話は飛んで、繁華街を歩いていても、ブランド物のバッグや服を身につけて歩いている人をまず見かけない。流行のおしゃれをしている若者も一部いるが、まず、Tシャツにジーンズといったラフな格好ばかり目に付く。ルイヴィトンのバッグを提げて歩いている人を見たことがないけど、見たら日本人?と思ってまちがい?Kiwi は、身につけているものが皆とても質素で地味だ。逆にいえば、おしゃれしようにも選択肢があまりない、とも言える?…おかげで、私は衣類をあまり持って来なかった(持っていない?)けど、おしゃれをする必要も(していくところも?)ないので、日本にいたときみたいに衝動買いすることもない。こちらに来てまだ衣類は何も買っていない(サイズがないというのが大きな理由?)けど、いつもTシャツにジーンズの着たきりスズメ同然の格好で済むので大いに助かる。

2008年5月13日火曜日

NZの隅々を旅するの記1-5

1997年12月

Christchurch から Queen's Town 往復ー帰路へ
次の日は、最初の南島の旅なので、まずはありふれたコースで、Mount Cook (クック山) 経由で Queens Town へ、それから Milford Sound へ行くことにした。宿泊場所も足も既に information center で予約していたので、安心だ。今度は大型のツアーバスで快適だ。Mt. Cook に行くまでに小さな町の何箇所かでトイレットタイム(20分くらい)をとってくれるので、さ~っと、ウィンドーショッピングをするのも楽しい。

12月で夏の季節だがとても寒かった。最初のトイレットタイムで、とある小さな町に寄ったとき、商店街の歩道にカートを置いて、手編みのセーター類を売っているおばさんがいた。趣味の手編みの作品を置いて売っているらしい。生成りのフィッシャーマンズセーターが25ドル。ウールの毛糸だけでも40ドル位するのに安~い!Tシャツの上から着てみると子供用?なのか、ぴったり。Christchurch のクラフトセンターで、やはり手染めの糸で手編みした素敵なセーターを、学生の私に似つかわしくない大枚85ドルをはたいて衝動買いしていたのだが、安いから日本に帰って誰かにお土産にあげてもいいし、と思い、また買ってそのまま着こんで旅を続けた。Mount Cook 辺りはさすがに雪で覆われて寒かったので、油抜ききしていない生成りのセーターはとても暖かく重宝した。Mt. Cook から、途中途中 数々の美しい湖をたっぷり堪能しながら Queens Town に向かう。 (湖については後の旅行で詳しく紹介したい)

Queens Townでは、美しいLake Wakatipu(ワカティプ湖) の真ん前にあるYHAのホステルに泊まった。そこで仲良くなったブラジル出身のカレンとジェットボートに一緒に乗ってスリルを楽しんだ。ここは、バンジージャンプ発祥の地である川のあるところだが、高いところから落ちるのは怖くて食指が 動かない。次の日は、小さな「BBQ BUS:バーベキューバス」でMilford Sound 行き1日ツアーに参加 した。途中、美しい川のそばでドライバーがバーベキューをこしらえてくれるというのが呼び物で、けっこう観光客に人気があるらしい。バーベキューの準備ができるまで辺りを散策するというもでなかなか楽しかった。Milford Sound は、世界遺産に指定されているだけあって、さすがに雄大ですばらしいところだ。船が大きな滝に近付くとしぶきで濡れるので雨カッパを持参した方がよい。岩場にはたくさんのseals (アザラシ) がのんびり寝そべっている。船の周りには世界一小さいNZ特有の dolphins (イルカ) が群れをなして船の周りでたわむれるようにピュンピュン跳びながら追いかけてくる。

帰りはChristchurch まで、また、大型バスで同じコースをたどって帰る。途中、羊の大群が道路をのんびり渡る間、じっと待つという、”これぞNZ!!”というまたとないチャンスに遭遇した。その間、道路脇に群生する色鮮やかなピンクや紫や黄色の濃淡の Lupins (ルピナス) の花を存分に楽しむことができた。遠い道のりも、美しい山々、湖、どこまでも広がる茶色の乾燥したTussock Grasslands (タソック(NZ原生の雑草の1種)が群生する草原地帯)、羊がのんびり草を食むどこまでも緑に覆われた牧草地、と、次々変わる窓の外の景色に見飽きることがない。

Christcurch から Auckland までは、旅行代理店に飛び込んでAir NZ の格安チケット(100ドル)が手に入ったので時間の節約で飛行機で帰ることにした。飛行機から見る景色はまた違った楽しさだ。バス旅行では見られなかった氷河や、雪をかぶった山々、タソックで茶色く見える草原、そして緑の牧場は羊がまるで白い水玉模様のように点々として美しい。雪をかぶった美しいMt.Taranaki(タラナキ山:Mt.Egmont) は富士山にそっくりで突然日本に帰ってきたような懐かしい気分にしてくれる。

(これで、1977年12月の一人旅の記は終わります。また、この後、この経験を元に計画決行した2004年10月から2008年1月にかけてNZ北から南への5回に渡る旅顛末記を、豊富な写真と共に書いて行きたいと思います。)

NZの隅々を旅するの記1-4

1997年12月

Blenaheim から Christchurch へ
ここ Blenaheim(ブレナム) から夏休み真っ最中の私の、南島への貧乏一人旅が始まった。Christchurch (クライストチャーチ)を目指していた私にJudie が教えてくれた一番安い旅の方法は、定期的に出ている乗り合いのマイクロバスを使うことだった。これは、
Kaikoura 経由で Christchurch まで連れて行ってくれる小型バスで、観光客はあまり利用しないそうだ。でも、25ドル(ちなみにこの頃、1ドル80~85円くらい)と格安だった。10人ほどしか乗れないが、この時の乗客は6人ほどで、ドライバーは、道々マイクで観光バスのガイド並みにあれこれ説明してしてくれるので長い山道も退屈することもなく、途中美しいカイコウラの海岸を眺めながら、Christchurch まで(約5時間)あっという間だった。

(南島の面積は北島の約1.2 倍の広さで、人口は総人口の約4分の1。4分の3が北島に集中していることになる。だから、車で町から町へ移動する間、山や海や川、どこまでも広がるファームといった自然と羊や家畜だけでまず人を見かけることがない。日本では、どこまで行っても人がいないというのは北海道くらいではないだろうか。車で旅行する人は、町(あるいは村)から次の町まで何もないから、常に、車の燃料を気にしていたほうがいい。間が長い時は、たいてい、次のpetrol station (ガソリンスタンド)まで、~KMと標示があるから、心配だったら補充しておいた方がよい。この所々に出没する小さな町を散策して楽しむのもNZの楽しみ方の一つとしてお勧めしたい。)

Christchurchで、 i のマークの
Information Center に行き、宿泊や旅程を企画するについて色々アドバイスをもらった。日本人スタッフもいるので、英語に自信なくても心配ない。Christchurch は2泊の予定だったので、1泊20ドル前後のバックパッカーと、ホステルを2箇所紹介してもらい泊まることにした。何しろ、貧乏学生なのでホテルなんか贅沢なのだ。一人旅は気楽でいいけど、食事の時は、やはり味気なく淋しくなってしまう。その点、ホステルやバックパッカーだと、共同キッチンで食事の準備をしながら色んな国の人たち(結構、年配のカップルなども利用している)と仲良くなれるので楽しい。すぐ近く(と言われて歩いたらすご~く遠かった!!きっと、車の感覚での近く)のスーパーへ行って、食糧を買い込んで簡単な食事を作って食堂で食べる、これも格安旅行の醍醐味?かもしれない。

1日目は地図を片手に徒歩で、あるいはトラムカーを使ってゆっくり市内観光。次の日は市内から85キロほどのところにある歴史的な町
Akaroa へ1日観光をした。ここはかつてフランス人入植者の住み着いたフランス風の建物が美しい小さな町だ。アカロア湾を、この地域の野生動物や歴史について船長のガイドを聞きながらクルーズを楽しんだ。世界一小さなイルカやペンギン、切り立った崖に住む鵜などの海鳥を近くから見ることができる。歴史資料館には、マオリ族が使っていたという、魚の骨や、人間の骨(かつて、マオリは人肉食人種だったらしい)で作られた釣り針など保管されていて興味深い。

2008年5月9日金曜日

NZの隅々を旅するの記1-3

1997年12月

2.Auckland (オークランド) からBlenheim (ブレナム)まで 
1997年の12月、日本から遊びに来た友人3人とオークランドからネルソンまで、バスとフェリーを使って旅をした。途中途中知人から知人を訪ねての旅で、宿は全て知人の家。Auckland からバスで
Hamilton (Waikato地方)へ、Hamilton では、知人の家2軒に二人ずつ分宿。(Hamilton は、NZで4番目に大きい都市で、NZで最長のワイカト川沿いに発展した、古い建物の街並みが美しい静かな地方都市)

次の日は、Waitomo Cave(ワイトモ洞窟) でGlow warms (土ボタル)を楽しんで New premouth 経由で Palmerston North へ(この時、自分が10年後にこの地に住もうとは想像もしなかったのですが)イラン人の知人宅で珍しいイラン料理をご馳走になり、 また、分宿。次の日、
Levin では独特の彫刻で飾られた Marae(マオリ族の神聖なる集会場)を見学したり、マオリ人の家族に招かれて楽しいひと時を過ごすことができた。(1年後に、別のMaraeに泊まる機会を得、大変印象的なマオリの儀式?を体験したことがある。機会があればそのことも後で、書いてみたいと思う。)

その後
Wellington へ。時間があまりないので外から有名な Bee Hive (parliament building: 国会議事堂、形が蜂の巣に似ていることからこの愛称がある)を眺めただけて、フェリーで南島へ渡った。南島の船着場は Picton (Marlborough 地方)にあり、そこから Blenheim へ出発。

Blenheim で泊めていただいたお家の主人は70 代?(もしかして50 代かもしれない・・こちらの人はとても老けて見えるから)と思しき Judy、とても穏やかで優しい英国出身の女性。お庭にはお花や季節の野菜が丹精こめて育てられていて、育てた野菜を採ってきてお料理をして供してくださった。英国人らしくとても質素(ほんとに質素)だが、暖かくてこんなに心豊かに感じさせられるのは何故だろうと思ってしまう。Judy の、お友達も数人訪ねて来てにぎやかなひと時を過ごした。
(マルボロ地方は、温暖な気候でOrchard (果樹園)やVineyard(ぶどう園)がたくさんあり、美味しい果物やワインで有名な地方。この地方にも、身逃してはならない美しい小さな街がたくさんある)

次の日 Judy と他数人と2台の車に分乗して
Nelson までドライブ。ドライブの途中、何度も何度も、車に轢かれてつぶれた鳥や獣の死体を見た。道路の脇はたいてい Bush(原生林)になっているので動物が飛び出してくることが多いらしい。中でもPossum (ポッサム) が多いように見える。Possum は、最初オーストラリアからネズミ退治のために輸入されたものの、はびこってしまい、NZ 固有種の Kiwi を絶滅の危機に追い込んだ pest (厄介者) として、嫌われているので轢かれても誰も同情しないようだ。その後、Blenaheim まで一緒に楽しく過ごした3人の友人は帰国の日が迫りオークランドへ戻っていった。

NZの隅々を旅するの記1-2


1997年12月 

1.北から南へ
姉たちとの旅行を企画するために、大いに役立ったのが1997年夏(12月)に決行したけちけち一人旅だ。アルバイトをしながらの貧乏留学生だった私は、その年(2月から11月まで)学部の全過程を無事パスできた自分へのささやかなご褒美に、North Island(北島) から South Island(南島) まで、気ままに足の向くまま、できるだけ費用のかからない方法で旅をすることにした。たまたま知り合った日本からの友達3人と北島から南島の北端の街まで同行することになったので、一人旅はその後に始まることになる。

残念ながら、その頃はカメラも銀カメで、ここでは、スキャナーの持ち合わせもなく、写真を載せることができないので、ご紹介する関係サイトや地図を見ながらご想像にお任せすることにして・・・ (続く)

NZの地図
詳細な街の名前がないのでイマイチですが、大まかな位置は分かってもらええると思います。NZに関する詳細は
NZ政府観光局のサイトを覗いてみてください。詳細な地図も そこでダウンロードできます。

2008年5月6日火曜日

NZの隅々を旅するの記 1-序章

始めに  

NZの魅力を紹介したウェブサイトやブログは、検索すれば何十、いえもっと、何百?とあるだろう。初めてNZを旅行する向きには、やはり、一応、有名な Christchurch、からMt.Cook、Queens Town 、Millford Sound、Franz Josef などの氷河、といった美しい南島の自然を満喫するというのが定番旅行だ。パッケージツアーに必ず組み込まれている代表的景勝地だ。で、せまいNZだから、南から北をサーと周れば、ほとんど行ける所は行ってしまい、もう行くところないから十分と思わないで欲しい。NZの魅力は、もっと知られざる地方の隅々に、人々が実際に生活を営んでいる名もなき小さな村々に、密やかに息づいている。

私の姉とその友達は、私を tour planner 兼 guide に雇い?NZ旅行を、2004年の10月を皮切りに、ほとんど毎年少なくとも1回は楽しんでいる。で、まだ、飽きないらしい。おかげで、私は、あちこち自分の行きたい所を、独断と偏見を持って吟味し、プランを練り、姉たちの旅行に(私の旅行費用も予算に組み込んで、しかもパック旅行より格安で行けるようにプランするので)自腹を切らずに遠慮なく同行して楽しんでいる。その旅行顛末記をこれから、少しずつ、紹介していきたい。(乞うご期待)

2008年5月4日日曜日

ブログのフォントについて

フォントが小さくて老眼の目には読みづらいとご指摘いただいた。も 一度、ためしに、フォントを Large というのにしてみる。

なんだ!大きくなるじゃ~ん!で、全てフォントをLarge に変えようとしたが、どうも1枠内の文字数に限度があるらしい。たくさん書いたり、大きな写真を載せたものは、文字が大きくならない。それに、行 間を1行開けているのに詰まってしまう。

という訳で、あれこれ、文字が小さかったり大きかったりしますが、もうしばらく解決法を見つけるまで我慢して読んで くださいね~。ちなみにこのフォントは Largest にしてみたら見苦しく行間が乱れるので Large に戻しました。

2008年5月3日土曜日

Palmy 5

Bush walking in Manawatu Gorge Track
マナワツ峡谷のブッシュ
ウォーキングコース
Manawatu Region (マナワツ地方)で最大の街 Palmy。その北東に位置するマナワツ峡谷(マオリ語で Te Apiti: 峡谷の意味)は、ルアヒネ山脈とタラルア山脈の間を抜ける峡谷で、ここを流れるマナワツ川は、この東西を分かつ山脈の東側の町Norsewood を水源地とする水流がこの峡谷を流れ西の海岸Foxton まで流れるという、分水嶺とは違った流れ方で世界的にも珍しい現象だそうだ。峡谷の東側に鉄道が走り西側に道路が走っている。
この道路を通りタラルア風力発電施設に行くことができるのだが、その途中に、bush walking コースの入り口がある。片道3~5時間のコースで、原生林の中に切り開かれたなだらかな道(泥道や険しい崖ももあるが)をたどり、NZ生来の野生の鳥、巨大な樹木やシダ類、これらが発するしっとり清清しい森の香りを楽しみながら歩くと、体の隅々までたっぷりマイナスイオンを吸い込むようで心地良い。危険な箇所も動物もいないけど、ブッシュに入る時は、十分時間の余裕を持って、飲み物や食べ物、天候に合わせた準備も怠りなく。(写真:ブッシュからマナワツ峡谷を望む)

2008年5月1日木曜日

My favorite 3

Silvereye (Waxeye)

Silvereye(NZのメジロ)が、リンゴの季節(3月~4月)に群れでお隣のリンゴをつつきに来る。日本のメジロとほとんど同じ(?私は、自然の環境では見たことがないので)かもしれないが、5~6センチくらいの小っこい体に大きな目。頭から背中、脇などの(それぞれちょっとずつ色が違う)抹茶色の緑が美しいかわいい小鳥だ。

直径5~6センチくらいの小さなリンゴの実に乗っかってせっせとつついては、どこかに飛んで行き、また戻ってきてつつく。そのうち、リンゴはみごとに半径のお椀様の皮だけになっていくが、それでもしっかり枝にくっついたままだ。その残った皮の底の方の実を、この小っこい鳥が中に入り込んでつついて食べる様子は何とも言えずかわいらしく、時の経つのも忘れて見とれてしまう。

人が来ると、さっと逃げていくので写真を撮るのはなかなか難しい。何枚か撮ったうちの一枚にかろうじて一羽写っているが、緑色の部分が見えないのが残念。(拡大して見てくださいね。「戻る」ボタンで戻るんです・・そんなこと知ってるって?!シツレー!) で、今日から私のニックネーム、SILVEREYE に変えました。よ・ろ・し・く~。

ひとりごと

写真を知らずにクリックしたら拡大した。ということはわざわざ紙面を割いて大きな写真にすることはなかったんだ。(知らないのあんただけって??…(_ _;) ウゥ)!

毎日あれこれ、触っているうちに少しずつブログの載せ方が分かってくる。それにしても、このブロガーっての選んでよかったのかしら?使い勝手悪いし・・・ブログのarchive (履歴)を日付別だけでなく、テーマ別にも分けたいのに、どうにかする方法ありなのかな~~???誰か教えて~・・・・
という訳で、試しにもう一枚early-morning mist (朝もや) のwind farm の写真。