2008年8月31日日曜日

NZの隅々を旅するの記2-終章

      写真:飛行機から撮った南島の山並み(2007年撮影分 )
10月17日Dunedin~auckland
朝、シャトルバスを予約する代わりに、B&Bのご主人が、20ドルでDunedin空港まで送ってくれた。国内線は、プロペラ機なので低空飛行、お天気が良ければ空からの景色を楽しめる。国土の面積は日本の約71%で,人口は3%ほどという国だから空から見る景色、特に南島、は、山々、草原、ファームに羊や牛、川、海、所々に街や村村がある、といった感じで本当に農業国なんだなと改めて感じる(*北へ向かう時は、飛行機の席を左側に取ると、お天気が良ければ冠雪の美しい山脈を見ることができるし、右側だと海岸沿いの景色を楽しむことができます。往復するなら常に同じ側に座れば両方堪能できるので、席の予約の時いつも同じ側を指定するのも一案です。)

オークランドに戻って、出発時間までゆとりがあったので姉が口座開設したNZの銀行のカードと定期預金の証書を受け取るために市内に行った。NZの定期預金金利はとても高いので、人気だが、為替の変動を考えるとそんなにおいしいものではない。でも、姉達は、NZがすっかり気に入ってしまい、次回は北島を中心に回りたいと希望している。満期になった頃、飛行機代だけ払ってNZに来て、現地での費用に、預金を当てればよいと考えているようだ。半年定期で年利約7%(*当時、現在は8~9%)という高金利は、日本では考えられないと大喜び。円の交換率は、68円ほどだった。(*旅の記2-1で、76円と書きましたが、68円の間違いです。m(__)m*現在、80円ほどだから、かなり率の良い時に預金して4年間、複利計算で相当になっているはず?)

オークランドの飛行場で帰りのフライトを待つ間、思いがけず、マオリの人々の団体が見送りのためにハカ (Haka) をやっているところを見る事が出来た。ハカはオールブラックス (All Blacks) が試合の前にする儀式としても有名だが、旅行に出る人の安全を願ってすることも多いとか。カマッテ、カマッテ(I die, I dieと言う意味だとか)、というのが頑張って頑張って、と言っているようで大好きだ。私はもう少しNZに残りたかったので、帰りは姉たち二人で帰ってもらった。ふたりを空港まで送り届けたが、全く英語のできない二人だったので、無事日本に帰りついたという知らせを聞いた時は、ホッと胸を撫で下ろした。

今回の旅行、費用は一人当たり、お小遣いも含めて約25万円で済んだ。団体ツアーだと、10日以上の日程は、急に高くなり、30~40万円以上が相場なので、二人分の団体旅行費用で3人分の旅費とお小遣いまでまかなったことになる。結構贅沢もしたのに、安く済ませられた、と自己満足?それにしても、駆け足旅行では、NZのほんの、おさわり部分しか知ることができない。時間に追われず、心ゆくまで楽しめる身分になりたいもの。(*次回は北島の旅をご紹介したいと思います。)

2008年8月29日金曜日

NZの隅々を旅するの記2-9


10月16日 Teanau から Dunedin へ

翌朝8時頃、テアナウ (Teanau) から3時間 (290km) ほどコーチバス(Intercity)に乗りダニーデン (Dunedin)  へ。ダニーデンは、学生の街、また古いスコットランドの伝統息づく街だ。最後の地なので、B&B(Bed & Breakfast)に泊まるように企画した。ダニーデンには、古い由緒ある建物を利用した素晴らしいB&Bがたくさんある。B&Bは、部屋数は少ないが、たいていは家の持ち主である夫婦だけで経営していてアトホームな雰囲気がいい。50代と思しきこのB&B(Deacons Court:ディーコンズコート) のご主人は、とても気さくで話好きな方だった。さすが、大学の町、奥様は、昼間大学に通って勉強しているとかでお目にかかれなかったが、お花がいっぱいのお庭に、日当たりの良いサンルーム(conservatory)が、とても at home でくつろげた。古いヴィクトリア調の調度品やベッドの部屋で、すっかり中世の貴婦人、優雅な気分も味わえる。

午後から、近くの小さな観光案内所に飛び込み、乗り合いの小型観光バスを利用して市内を周遊した。世界一急な坂、植物園、オタゴ大学、レールウェイステーションなどの古い重厚な建物、などをざっと周って忙しく数時間の観光。その後、中心街でウィンドウショッピング。歩き疲れてオクタゴン広場のカフェに入る。地ビールのスペイツ(Speights) や、お料理を味わいながら通りの美しい建物や行き交う人々を、旅行最後の日を惜しみながら眺める。郊外に足を伸ばして、NZ唯一のお城、ラーナック城(Larnach Castle:1871年)や、オタゴ半島でアホウドリやペンギンなどの野生動物の世界、あるいは列車に乗って峡谷の旅、を楽しむ、などなど、楽しめるところはたくさんあるのに日程の都合で半日しか滞在できなかったのがとても残念だ。

2008年8月27日水曜日

NZの世界遺産

旅の記の補足
NZの世界遺産について調べてみました。
ユネスコ世界遺産のサイトで、NHK制作の「世界遺産」のビデオの一部(NZの亜南極諸島:Subantarctic Islands)を見ることができます。あるいは、U-TUBEでたくさんのNZ関連ビデオを見ることができます。

(*下記は
ヤフートラベルからのコピーです。茶色字は筆者補足)
テ・ワヒポウナム(Te Wahi Pounamu)
ニュージーランドの南西部にあるテ・ワヒポウナムは、マウント・クック (Mt. Cook) 、フィヨルドランド(Fiordland) 、マウント・アスパイアリング (アスパイアリング?Mt. Aspiring) 、ウエストランド (Westland) の4つの国立公園を擁する面積約28000平方kmの自然公園。テ・ワヒポウナムとは、「翡翠の土地」を表わす現地(マオリ)語。氷河活動で出来た切り立った山々、荒々しい海岸線、砂丘などが広がる。世界で最も多雨の地域で、圧倒的な雨量は、希少な冷温帯雨林を育む。植物は多様性に富み、動物もモア(19世紀に絶滅)、キウイ、イワトビペンギン、カオジロサギ、ニュージーランド・オットセイなど固有種が多い。マウント・クック国立公園は、ニュージーランド最高峰のクック山(3754m)を擁し、タスマン氷河をはじめとする多くの氷河を頂き、美しい山岳風景を作り出している。フィヨルドランド国立公園は、その名の通り、海岸線にはフィヨルドが続き、険しい山陵や氷河湖が多く見られる。代表的なミルフォード・サウンドは、空、海、陸からのアプローチが可能な屈指の景勝地。このエリアのミルフォード・トラックは、自然保護のため、1日の入山者数が制限されており、個人でも入山には予約が必要。マウント・アスパイアリング国立公園は、アスパイアリング山(3027m)を中心に、アスパイアリング連邦(連峰?)が続く国内有数の山岳景勝地。裾野にはブナの原生林や草原が広がる。ロブロイ氷河などハイカーたちの人気も高い。ウエストランド国立公園は、世界でも珍しい海抜標高の低い“双子の氷河”フランツ・ジョセフ氷河とフォックス氷河で知られる。氷河の流れも速く、1日で5~6m動くところもある。


トンガリロ国立公園(Tongariro National Park)
トンガリロ国立公園は、ニュージーランドの北島の中央部に広がる最高峰のルアペフ山(Mt. Ruapehu:2797m)をはじめナウルホエ山(Mt. Ngauruhoe:2291m)、トンガリロ山(Mt. Tongariro:1967m)の3活火山や死火山を含む広大な795平方kmの公園。この地域は、更新世の氷河、火山のマグマ活動による火口湖、火山列など形成過程にある地形とが併存し、また、広大な草原や広葉樹の森林には多様な植物、珍しい鳥類が生息し、地質学的にも生態学的にも関心がもたれている。雄大なルアペフ山は、近年にも大きな噴火を起こしている。ナウルホエ山は、富士山に似た陵線を持つ美しい山。トンガリロ山は、エメラルドに輝く火口湖が素晴らしい景観を作り出している。これらの山々を縦走するトラックは、「トンガリロ・クロッシング」の名で知られ、人気の高いコースである。また、この地は、9~10世紀にポリネシア系のマオリ族によって発見された。カヌーで南太平洋を渡った先住民族マオリ族は、宗教的にもこの高原一帯を聖地として崇め、また、伝統、言語、習慣などのマオリ文化を脈々と守り続けてきた。マオリ族の首長ツキノが中心となり、この地域の保護を求めたことがきっかけとなり、1894年にニュージーランド初の国立公園に指定された。自然と文化との結びつきを代表する複合遺産になった先駆的物件。

ニュージーランドの亜南極諸島 (Sub-Antarctic Islands)
ニュージーランドの亜南極諸島は、ニュージーランドの南東、南太平洋にあるスネアズ諸島 (The Snares) バウンティ諸島 (Bounty Islands)、アンティポデス諸島 (Antipodes island) 、オークランド諸島 (Auckland Islands) とキャンベル島 (Campbell Island) の5つの諸島からなる。ニュージーランド本島と南極との間にある亜南極諸島と海には、ペンギン、アホウドリ、みずなぎどり、海燕などの鳥類、鯨、イルカ、あざらしなどの哺乳動物、花の咲くハーブ草などこの地域特有の動植物が生息している。スネアズ島には600万羽の鳥が営巣する。南緯40度のこのあたりは「ほえる40度」と呼ばれ、南極からの寒流、太平洋からの暖流のぶつかりあう所。度々暴風雨に見舞われる厳しい自然環境だが、豊富なえさもあり、生態系を維持してきた。手付かずの自然を保護するために訪問者の数を制限しているため、限られたツアーでしか行くことができない。

2008年8月25日月曜日

NZの隅々を旅するの記2-8

         (マナポウリからダウトフルサウンド:行程地図)
10月15日 フィヨルドランド国立公園 Doubtful Sound(ダウトフルサウンド)
朝8時半頃、予約していたダウトフルサウンドツアーのためにマナポウリ湖の船着場行きバスに乗る。予約していたランチを3人分もらって、マナポウリ(Manapouri)湖から乗船し、ウェストアーム(West Arm)で降りてバスに乗り換え、ウィルモット峠(Wilmot Pass)を越えてダウトフルサウンドの入り江 ディープコーブ(Deep Cove)に行き、そこから船でダウトフルサウンドの入り江を3時間のクルーズ。帰りに水力発電所見学をして全行程8時間程かかる。
1年を通して降雨量の多いこの地域独特の原生林(rainforest:多雨林)。その間を縫うようにバスはウィルモット峠目指して走る。途中写真休憩で止まったところは、モスガーデン(Moss Gardens)。原生雨林にそそり立つ岩肌に、黄色、緑、赤紫などの濃淡が美しい滑らかなビロードのような色とりどりの苔(苔の絨毯:moss carpetという説明がまさにぴったり)が密生し、露に濡れて虹のよう。その周りをファーンや樹木のしっとりとした緑が豊かに繁り、辺り中から、マイナスイオンが体中に入り込んでくるような気がしてすごく気持ちがいい。思わず深呼吸。

ウィルモット峠でまた写真休憩。展望台から見下ろす深いダウトフルサウンドの入り江は絶景。雲が低く垂れ込んだ山間の隙間を縫うように蛇行し、深い紺碧の水が神秘的なほどに美しい。”Sound of Silence(静寂の入り江(音))” の別名があるのもうなずける。ディープコーブで船に乗り、入り江を外洋の近くまで(約40km)クルージングを楽しむ。ランチボックスを船内で開けて食べた。でかいハンバーガーや果物や、何やらたくさん入っている。我々小食組には、2個で十分だった。
NZのフィヨルドランド国立公園で、2番目に規模が大きく、最も深い(水深421m)入り江を、真っ白な波しぶきを船尾に吐き出しながら船は進む。周りの山々に低く立ち込めた雨雲や霧(mist)や、細い滝の流れが、この(エンジンの音さえなければもっと)凛として静寂な入り江をより神秘的な雰囲気にしている。船長の解説がスピーカーから流れてくるが、エンジンの音で(?言い訳( ̄ω ̄;)エートォ..?.)解ったり、解らなかったり?でこのツアーガイド、あまり役立たず?岩場にオットセイ(NZ fur seals)が群れをなしてのんびりと寝そべっているところでしばらく船を止めた後、船はまたディープコープに向かい、およそ3時間のクルージングを終え下船。
帰りに寄った、水力発電の国ならではのウェストアームにある地下発電所見学も興味深い。発電所は狭いトンネルの中を2キロ程走った行き止まりにある。その狭い突き当りでバスの運転手さん(女性だった)が、用心深くバックしながらUターンを試み見事にバスの向きを変えることに成功したとき、固唾を呑んでその様子を見守っていた乗客全員が、ホ~というため息と共に一斉に賞賛の拍手を贈った。
ダウトフルサウンド(*Doubtful Soundの写真がたくさんあるサイトです)は、団体旅行ではまず企画されないので、個人で行くなら是非足を伸ばしたい場所のひとつだ。ミルフォードサウンド(*Milford Soundの10倍の規模で入り江の長さは3倍)よりもっと深く静謐で神秘的で、まだ訪れる人もミルフォードほど多くはないのでそれほど俗化していないようだ。
(*Doubtful Sound:疑わしい入り江:1770年にキャプテンクックがこの入り江に帆船で入った時、あまりにも深い入り江に外海に出るだけの風があるかどうか疑わしいので戻れないことを怖れて引き返した、という謂れからこの名前が付いたそうです。)

2008年8月22日金曜日

NZの隅々を旅するの記2-7

                (Stirling Falls のしぶき)
10月14日 *フィヨルドランド国立公園 Milford Sound(ミルフォードサウンド)
1997年12月に私が一人旅で利用したなつかしいBBQバスをまた予約し、ミルフォードサウンドツアーをすることにした。バスのドライバーが、おじさんだったのが若い男性になり6年前とは変わっていたが、後は、全く同じだった。クイーンズタウンを出てテアナウ湖で休憩、ここを基点にミルフォードロードのあちこちにある見所に寄りながら、ミルフォードサウンドまでツアーをすることになる。カスケードクリーク(Cascade Creek)の清流のそばでBBQの準備が整う間、乗客はウォーキングコースを散歩する。10人ほどの乗客は色んな国から来ているみたいで、国際交流しながらNZ風BBQ(*ソーセージを焼いて食パンにのせトマトソース(ケチャップのこと)をかけて包み込んで食べる。他にサラダやジュースなど準備してくれていた)を楽しめる。昼食後は、また小さなバスに乗り、お決まりの写真休憩(湖面に景色が逆さまに映る鏡のような湖、ミラー湖(*Mirror Lakes:とても小さい湖と言うより池?)など)を取りながら目的地へ。やがて東と西に分ける山脈に掘られたホーマートンネル(Homer Tunnel:全長1270m)に入る。中は真っ暗で、車のライトは点いているものの周りは何も見えないので緊張してしまう。やがて明るい出口が見えてきた時は思わず体の力が抜ける。あちこちからホ~というため息が聞こえる。トンネルの外に出ると、切り立った山々の斜面に滝が氷の筋になっているのが目に付く。

世界遺産のミルフォードサウンドは、幸い良いお天気に恵まれ、空の青、海の藍が深く澄み渡り静謐だ。湾を囲む山々から大小の滝が流れ落ちている。船の進行方向にそそり立つ マイタピーク(*Mitre Peak:海面からそそり立っている山としては世界一高い1692m、その形がキリスト教の司祭の帽子(mitre)に似ているところから付いた名前)がことに印象的だ。船の周りには小さなイルカたちが、スクリューに巻き込まれないかしら、と心配になるくらい近くをまるで戯れるように飛び跳ねながら付いてくる。復路で、船はスターリング フォールズ(滝:Stirling Falls :155m)にしぶきがかかるくらい近づきしばらく止る。しぶきがかかるのを気にせず船室の外に出て写真を撮る。近くの岩場にオットセイ(seals)がのんびり平和に白昼夢をむさぼっているのを眼前に見ながら、太古の昔から手付かずの大自然がまだここには残っているのだと実感する。

ミルフォードサウンドの帰り、私たち3人だけはそのまま、次の日、テアナウからマナポウリに向かうので、テアナウのホテルに泊まるようにしていたが、若いBBQバスのドライバーは、私たちをテアナウで降ろすのを忘れて、そのままクイーンズタウンへ戻ろうとしていた。途中で気付いた私は、あせって立ち上がり、大きな声で、”Stop the bus , driver!!!” と叫んだので、彼はびっくりして急停車した。彼は平謝りで、私たちの予約していたホテルまで戻ってくれた。道が違うということに早く気付いたからよかったものの、もう夕方だったので、へたすれば、テアナウ泊まりも、ダウトフルサウンド行きもキャンセルになるところだった。その夜は、テアナウのレストランでvenison(鹿肉)の料理を注文して食べてみた。癖のないあっさりした味で美味しかった。
*参考:fiord (ノルウェー語:内陸部へ深く入り込んだ湾の意):氷河によって形成されたU字谷に海水が浸水してできた入り込んだ湾

2008年8月21日木曜日

オリンピック

NZの銀メダリスト
4000メートル男子サイクリング個人競技で銀メダルをNZにもたらした、 ヘイデン・ラウルストン(Hayden Roulston) 選手は、メダルを獲得した他の選手たちが雄たけびをあげたり、地面に伏したりして喜びを体いっぱいで表現する中で、ひとり、穏やかな満ち足りた表情でいたのが印象的だった。メディアのインタビューで、静かに淡々と彼の経験を語る姿に心打たれるものがあった。

ラウルストンは、2006年に、クライストチャーチ病院の心臓外科医から、運動を続けると命に関わるから止めるようにとの忠告を受けた。右心室形成不全症により呼吸数が少なく不整脈があるということだった。レースをする中、彼は実際呼吸などに問題があることを感じ自転車レースから引退することを宣言した。その後、とあるカフェで出遭った女性によって、日本のreiki healing(霊気療法)を受けるに至った。そして、2年後の北京オリンピックで、彼はみごとに返り咲いた。彼は、霊気で救われたと思っていて、今では、レイキヒーリングの敬虔な信奉者だ。(ニュースから抜粋)

日本発祥の霊気療法は、19世紀に開発されて以来、本国よりむしろ海外でポピュラーになったという。霊気という言葉は以前から聞き知ってはいたが、こうした実際の例を知ると、霊的な面が肉体に及ぼす力には計り知れないものがある、ということを改めて考えさせられた。

2008年8月18日月曜日

徒然なる想い

旅から離れて、ちょっと一息
日本から離れていると、日本のことがすごく見えてくるときがある。戦争で痛い目にあった日本は、終戦後、必死に国家の建て直しに邁進し世界の経済大国に名実共にのしあ がった。だが、同時に、敗戦以来米国に追随する姿勢は未だに変わっていない。世界は 大きく変わりつつあるのに、日本は未だに米国に頭が上がらない。

戦後の経済的発展によって、世界に誇る、すばらしい製品を生み出してきた日本。かつ て、安かろう悪かろうで悪名高い製品を世界に発し、ひんしゅくを買った日本。いま、中国が安かろう悪かろう製品を世界にばらまいて日本がたどった道を踏襲しようとしているかに見える。だが、器用な彼らも、すぐにそれに気付き品質の良いものを生産するようになるだろう。コピー技術に秀でた中国がやがて独自の高性能製品を生み出すようになり、名実共に世界の経済大国になるのにそう時間はかからないに違いない。

戦争放棄し、米国の傘のおかげで経済発展を成し得た日本に翳りが見えてきていると感じるのは私だけではないだろう。日本は、あれだけ世界に平和貢献しているにもかかわらず、ほとんど世界から認められることなく、未だにアジア諸国から戦争責任を責められ問われている。これに対して、全くなす術を持たない政治家に、辛抱強い国民もいい加減我慢の限界に来ている。

NZは、人口400万人の小さな国だ。だが、その姿勢は、大国におもねることもなく、独自の国策を推し進めてきた。確かに、生活するうえで不便な点が多く、経済的に決して豊かな国ではない。だが、国民はあれこれ流行に左右されることなく、大自然の中で悠然と生活しているように見える。日本人に比べて、精神的に彼らはずっと成熟しているような気がする。

日本がこれからとるべき道は、国家と国民が真の意味で精神的に自立した大人になり、他国にいいように操られることなく、真の自立した平和国家として世界にその存在を認められるようになることではないだろうか。

(*下記は、いくつか面白いと思った記事を拾っています。暇な折に、読んでみてください。)
月刊チャージャー8月号
覇権の起源 2008年8月14日   田中 宇
エネルギー覇権を広げるロシア 2008年8月5日   田中 宇
日米安保から北東アジア安保へ 2008年6月24日 田中 宇
石油高騰の謎 2008年5月14日   田中 宇
地球温暖化問題の裏側 2008年4月22日   田中 宇

2008年8月14日木曜日

NZの隅々を旅するの記2-6

              ( 雲に隠れたMt. Cook の頂上 )
10月13日 CHC~Queenstown
次の朝早く(7:15am)、予約していた大型バス(Newmans Coach)で、典型的観光コース、マウント・クック(Mt. Cook:NZの最高峰:3,754m)経由でクイーンズタウン行き。長いバスの旅(全行程7~8時間位)だが、途中トイレットタイムで寄る小さな田舎町メスベン(Methven)の目抜き通りをササっと見て歩くのは楽しい。紺碧の美しい湖テカポ(Lake Tekapo)の前でバスを降り、テカポ湖と善き羊飼いの教会(Church of the Good Shepherd )を背景に写真を撮って、お決まりの休憩タイム。マウントクックへは、善き羊飼いの教会の先の分岐点から北の方へ入り込んで行くので、クイーンズタウンを目指すにはまた同じ道を引き返すことになるのだが、途中で、眼の覚めるようなエメラルド色(ミルキーグリーン)の水を湛える美しいプカキ湖(Lake Pukaki)を二度見ることができるので少しも退屈しない。マウントクック村にあるハーミテージホテル(Hermitage Hotel)で昼食休憩の後、またバスでクイーンズタウンを目指す。

クイーンズタウンまでは3~4時間ほど。ワカティプ湖(Lake Wakatipu)や街を見下ろす通りで、中心から少し外れたホテル(Kingsgate Hotel Terraces Queenstown :キングスゲート ホテル テラス クイーンズタウン)に予約(街の中心まで徒歩5分とのふれ込みだが、坂道で往きは良い良い帰りは?)。お部屋は、メゾネットタイプ?というのか1階(ツインベッド)と2階(キングサイズベッド)に部屋が別れているタイプを予約。夕方5時頃着き、チェックイン後タクシーを使って街まで降り、中心街を歩いてしばしウィンドーショッピング。夕食は、久しぶりに和食を、と言う希望で、クイーンズタウンで一番?の和食レストラン「南十字星」に。 (*味は、”ここではこんなものでしょう”と言う程度。和食は、日本で美味しいものがいくらでも食べられるのだから、やはり、旅先でしか食べられないものを食べたい。)Queenstown、美しい湖に映る雪をかぶった山々、ほとんど寝るだけの1泊しかできないのがとても残念。

2008年8月13日水曜日

NZの隅々を旅するの記2-5

                春(10月)満開のCHC植物園
CHCの2日目はあいにくの雨模様で、急遽、個人営業の観光ガイド車を予約して観光案内をしてもらうことにし た。旅行前にインターネットで調べてメモしておいた電話番号に電話をかけたら都合よく空いていたらしく、午後1:00 の予約でホテルまで迎えに来てくれることになった。個人営業のJack Tregar さんは、かなり、年配(70代?でも多分60代)の穏やかな、感じの良い人だった。Jack さんと話し合って、昨日行った所以外で、半日で行けそうな所を選んで行ってもらうことにした。彼は、歴史に詳しく、解説(英語)付きのドライブで、希望なら日本語に訳されたコピーも用意してくれるという。(*バスツアーと違って、興味ある、あるいは行きたい場所に自由に連れて行ってくれるから個人営業の車をチャーターするのもお薦めです。)

まずは、昨日ざっと見ただけの植物園へ行き、かなり奥の方まで歩いたが、それでも全部歩くには広すぎる。雨の中で、鮮やかな緑の芝生や樹木が銀色のしずくで光って一段と美しい。その後、エイボン川沿いに建つモナ・べール邸(Mona Vale)、広大なブッシュのある歴史的建物リカートン・ハウス(Riccarton House and Bush )、今回泊まりたかったが満室で予約できなかった素敵なB&B(The Weston House)なども含め、車で通り抜け、あるいは外から眺めるるだけで、彼の説明を聞きながら街をドライブして抜ける。クライストチャーチも、せめて1週間くらいゆっくり滞在して庭園、歴史的建物、カンタベリー地方のワインや食事、自然を楽しみたいものだ。Jack さんの薦めで、空港近くの国際南極センター(International Antarctic Centre)に寄り、しばし氷点下の南極体験をした後郊外へ。
道中、19世紀のイギリス人入植者の話、植物にちなんだ話など、興味深い話を聞きながらカシミア丘陵地帯(Cashmere Hills )を上りつめ、重厚なゴシック建築の サイン オブ タカヘ(Sing of the Takahe)へ。ここから、クライストチャーチをパノラマで見渡すことができる。しばし休憩しようとカフェに行ったが3時過ぎていたので閉店(2:30pmまでらしい)。残念だったが、写真だけ撮って丘を降りたところにあったカフェで休憩し、しばしおしゃべり。ホテルまで送ってくれた時は、もう6時過ぎていた。料金を訊ねたところ、40ドルだ、と言うので、私は、こんなに長い間案内してもらって一人40ドならとても良心的な値段だ、と思いながら120ドル払おうとしたら、ジャックさんは全部で40ドルだと言う。つまり、1人でも、4人でも、同じということらしい。それでは、あまりに気の毒なので私は70ドル受け取ってもらい、再会を約束して別れた。

Jack さんとはすっかりお友達になって意気投合、メールアドレスを交換し、以後、日本に帰ってからもメールで近況報告し合いお付き合いが続いた。彼は、観光ビジネスに加えてウェディングサービス(結婚式からハネムーンまでアレンジサービス)も始めたいというので、お互い協力してビジネスをしようという話にまで発展した (*3年後談:2007年の旅行で、またJackさんに案内を頼もうと連絡をしたら、Jackさんから、皮膚癌で療養中、とのメールをもらいその後1~2回メール交換したのを最後に、ぷっつりと連絡が途絶えてしまった。彼のメールアドレスも、ウェブサイトも削除され、電話も繋がらず、消息不明・・・亡くなったのだろうか・・・と悪い予感・・・彼には、ずっと観光ガイドとして活躍してもらいたかったのに、すごく残念でたまらない・・・)

2008年8月12日火曜日

NZの隅々を旅するの記2-4

               クライストチャーチに秋葉原?
10月11日(土曜日) CHC市内観光とトラムレストラン
CHC(クライストチャーチ)には、朝一番の飛行機で9時頃には着いたので丸1日十分動く時間がある。でも、ホテルは、チェックインタイムには早すぎ、フロントに荷物を預けて市内観光することにした。あいにく小雨がぱらつく日だったが、NZの雨は、たいていシャワーですぐ上がるので歩ける範囲をゆっくり観光。ホテルから大聖堂広場までは徒歩5分位。そこから、トラムカーの路線に沿って歩いてアートセンター(The Arts Centre)、美術館(Art Gallery)、植物園(Botanic Gardens)、カンタベリー博物館(Canterbury Museum)などに行ける。
かつてカンタベリー大学として使われていた古いゴシック建築の歴史的建物を利用したアートセンターは、一見の価値があるところ。広大な建物の中にはあちこちに色んな工房があり、ウール製品、手染め手編みのニットウェア、革製品、NZ原木あるいは、パウア貝、グリーンスト-ンを使った様々な工芸品、陶器、食品、出版本など、NZの作家による作品をショッピングできるので、品質の良いお土産を買いたい人にはお薦めのところだ。週末で、マーケットが開催されていてとてもにぎやかだ。あちこち、見て周り、レストランバー(Dux de Lux Restaurant, Bar & Brewery)で休憩。そこで食べたポテトチップス(wedges:皮付きのままくし型に切って揚げたもの)を、姉はことの他気に入り、それ以来、どこに行っても、「チップス、チップス!」と注文する。アートセンターを後にして、さらに歩くと突き当たりに植物園。庭園内を散策するが、全箇所歩いて廻るには広すぎ、表の方だけ歩いて、隣のカンタベリー博物館へ。ここもざっと廻り、歩き疲れてホテルへ
戻りチェックイン。宿泊は、ホテル・グランド・チャンセラー・クライストチャー(Hotel Grand Chancellor Christchurch)。人数を2人で予約していたので、何か言われるかと思ったが、何も言わずすぐ部屋に案内してくれた。タオル類が二人分しかないので、ちょうど部屋の前を通っていたメードさんに余分のタオルやシャンプーをもらって来る。シャワーを浴びてディナーにお出かけのため少しドレスアップ。
クライストチャーチ1日目のハイライトは、トラムウェイレストラン(Tramway Restaurant)でのディナー。プランの段階で、E-メールで「私達は小食ですので、アラカルトで頼めますか?との質問に、親切丁寧に「もちろん、自由に選べます」との返事をもらい、予約を入れていた。あいにくの小雨だったが、大聖堂前広場(Cathedral Square)のトラムストップからレストランカーに乗り込んだ。1両編成の中は、進行方向に向かって右側に4人がけテーブルが4席。左側には二人がけのテーブル4席(だったと思う?)。最初かなり空いていたが、1周する間あちこちで遅れて乗り込んできた人たちがいて、席はどうやら満席になった。我々以外は、全部白人で、カップルや友人グループと思われる人たちが、正装して、あるいは、カジュアルな格好で席についていた。オーダーはフルコースでもアラカルト(a la carte menu)でも自由に選べたので、3人あれこれ違う種類のメイン、サラダ、オードブルを頼みシェアして食べた。NZ産の美味しいワインはもちろん不可欠。ゆったり食事を楽しむ間、トラムカーは市内を10周遊?くらいしたようだ*動くレストランは、団体旅行ではまず行かないところのひとつなので選んだのですが、3年後(2007年10月)に予約した時は、アラカルトは、もう取りやめになっていて、コース料理を1人1コース必ず選ぶようにと言われました。日本人観光客に大人気になってしまったらしく、ウェブサイトも日本語でも検索できるようになっていて、20人以上で予約すれば、朝食もランチも承りますとのこと・・・儲け主義になった?)

2008年8月8日金曜日

NZの隅々を旅するの記2-3


(左写真:スカイタワー)
10月10日後半
Auckland harbour に帰り、歩いて Victoria Park Marketへ。しばし、ウィンドーショッピングした後、Sky Tower へ。賭けはせず、ただカジノの中を見学。疲れたので早めに次のホテルに行こうということになった。明朝一番の飛行機でクライストチャーチに飛ぶことになっているので、この日のホテルは空港の近くのモテル。不便なところなのでQueen Street で夕食用にtake away (持ち帰り)の日本食お弁当屋さんでお弁当を買ってタクシーを拾い、ホテルに戻った。そのままタクシーに待ってもらって預けていた荷物を受け取り、この日泊まる予定の空港の近くのモテル(moter hotel)まで送ってもらうことにした。

インド人のタクシー運転手は、インド訛りの強い英語でよくしゃべる。そのおしゃべりで、注意散漫になったのか、途中のT字路で、右から直進してきた車に気付かず右折しようとして危うく衝突しそうになった。相手の車の白人女性は、車から血相変えて飛び出してきて、ものすごい剣幕で彼に向かって怒鳴ること!怒鳴ること!!!私たちは、あまりの、彼女の気迫に、ただ唖然として見守るばかり。彼は、ひたすら sorry、sorry を連発し平謝りであった。会社に訴えられたら、仕事もおぼつかなくなる可能性があるからだろう。・・・こういう場合は、あのくらいの気迫で怒鳴らなければ負けるんだ・・・すぐ謝ってしまう我々日本人の良い教訓?彼は、この事件で頭がどこかにブッ飛んだのか、お釣りをタクシー料金よりたくさんくれていた。後で、気付いたが、あいにくタクシーの名前もナンバーも覚えていないので連絡することもできず、気の毒なことをしたと思う(内心、喜んで?!)。

この日の motel は、サイトで見た写真とは大違いでお世辞にもきれいとは言えなかったが、寝るだけで、朝早く出発だし、翌日は、指定した時間にオーナーが空港まで送ってくれたので文句は言いますまい・・・

2008年8月7日木曜日

NZの隅々を旅するの記2-2

               (ワイヘキ島:Waiheke Island)

10月10日前半
朝、ケリー・タールトン水族館(Kelly Tarlton's Antarctic Encounter and Underwater World )でペンギンや海洋生物の世界を楽しむ。その後、タクシーでフェリー発着所のある港( Auckland Harbour)に行き、観光スポットのひとつである Waiheke Island (ワイヘキ島)という小さな島と Devonport (デボンポート)へフェリー(約40分)で向かう。

ワイヘキ島は、Winery (ワイナリー) がたくさんあり、また、著名なアーティストたちが好んでここに住み、あるいは、studio(スタジオ)を持って作品を生み出し展示している島で、アートに興味ある人は、是非ゆっくり訪れたいところ。素敵なホテルやロッジもたくさんあるので1日いてすぐ帰るのは本当にもったいない所だ。せめて、3泊位して、ビーチライフを楽しみ、芸術に触れ、美味しいワインやシーフードを味わい、ゆったりのんびりしたいところの一つだが時間がない。今回ワイナリー見学はやめて、Oneroa Village(オネロア村:メインストリート)で、アート、クラフトなどのお店をしばしウィンドーショッピング。カフェで、のどをいやし再び船へ。

帰りに途中下船して寄った Devonport は、古いたたずまいを残す素敵な街、思い出の街。かつて、私がアルバイトで店員をしたお店があるVictoria Road (ヴィクトリア通り) を歩きながらそのお店を探したが、オーナーはもちろんのこと、名前も店の雰囲気も内容も全てが変わってしまっていて、見落として通り過ぎてしまうくらいだった。この通りはウィンドーショッピングをするには楽しい通りだ。時間があれば、ヴィクトリア通りの行き止まりにあるMt. Victoria (ヴィクトリア山) に登って展望台から360度景色をながめ、山の反対側にある1866年に建ったという古いMasonic Tavern(マソニック酒場)に行きたかったが、時間がないのであきらめ、通りの真ん中当たりにあるカフェで昼食をとり船でシティへ戻る。(続く)

2008年8月5日火曜日

NZの隅々を旅するの記2-1

10月8日~9日 福岡~Auckland 
10月8日 福岡出発
KE 784  14:00 福岡発 14:50 Busan (プサン)着
KE 805  16:50 Busan 発 17:50 Incheon(インチョン)着
KE 823  21:50 Incheon 発
10月9日 12:30 Auckland (オークランド空港)着


福岡発の韓国航空を選んだら、結局上記のように面倒な乗り換え乗り換え。関空か成田発のNZ Air だと直行でNZまで行けるが、結局福岡から関空、あるいは成田まで乗換えや待ち時間があるので、福岡を出発してNZに着くまでの時間的な差はほとんどない。福岡からソウル 直行だと朝便で結局Incheon 空港で7時間ほど待ち時間があり、今回は待ち時間の少ないプサン経由を選んだのだが・・・乗り継ぎが面倒!!(*航空券を少しでも安く、と言う向きには韓国航空を。乗り継ぎや待ち時間が少しでも少ない方が良いという向きには、NZ航空をお薦めします。)
Auckland 滞在を2日取ったので、1日目は市内の目抜き通りに近いダクストンホテル(Duxton Hotel)を予約、2日目は早朝便で Christchurch に出発するので空港近くの motel を予約。

Auckland 空港からシャトルバスでホテルへ(*シャトルバスは、1人10ドル~くらいが相場だが、ある程度人数が集まるまで待たされ、それぞれのホテルまで送り届けるので時間がかかります。3人から4人での旅行にはタクシーを利用しても料金は大して変わらないかも?乗る前にシャトルバスとタクシーと両方交渉することをお薦めします。)

ホテルに荷物を置いて、クイーンストリートに行く(*ダクストンホテルは、ダウンタウンに近いホテル、と思って予約したけど、メインストリートまでかなり歩かなければならないので、健脚の持ち主にしかお薦めできません。)

まず、Queen Street にある日本人留学生や旅行者向けのコンサルタント会社に寄り、姉の銀行口座を開く手続きをしてもらった。NZの銀行の定期預金利息が高いので、2000年に、NZドルが40円台まで下がったとき、家族に外貨預金を薦めたが誰も関心を示さなかった。今回、NZドルは76(は間違いで*
68)円(交換手数料ともで)くらいだったが、1年の定期利息は、7%くらいなので長期的に見れば決して損はないと思う(*2008年現在、1ドル80円以上で推移。8.5%まで金利が上昇しており、5年間の複利計算をすればこの時の定期は結構な額になっているはずです。姉は、ホクホク!?)

銀行口座開設手続きを済ませ、クイーンストリートをブラブラウィンドーショッピングしながら、港の方へ降りて行った。第1日目の夕食は、NZらしい食事を、という希望で、フェリー発着所のある、Ferry Building (フェリービルディング) にある観光客に人気の seafood restaurant で、NZ特産のcrayfish(クレイフィッシュ:伊勢えびの一種) や green mussles (グリーンマッスル:ムール貝の一種)を食べNZワインを堪能した。(続く)



2008年8月4日月曜日

NZの隅々を旅するの記2-序章


北から南へ(2003年10月8日~17日)旅行プラン
2003年の10月、姉とそのお友達に頼まれ NZ 旅行の企画からツアーガイドまで引き受けた。8月くらいから、計画を練り始めたが、想像以上に骨が折れる仕事だ。航空券の手配から始まってホテルの手配、交通手段、レストラン、観光スポットと、大変だ。それでも、今はインターネットを上手に検索すれば、あらゆる情報を得ることができるからほんとに便利になったものだ。個人旅行だから、団体パック旅行ではできないユニークな旅にしなければ意味がないし、コストもできるだけ抑えて、でもケチケチ旅行にならないよう、時に、少し贅沢なホテルやB&B、あるいはレストランでの食事も散りばめて・・・とあれこれ考えるが、旅行休暇は11日間しか取れないと言う。11日間といっても、機内泊を2日取るので実質9日間しかない。二人には、これを機会に今後何度もNZを訪れてもらうことにして、とりあえず初回は、ポピュラーな観光コースをメインにたどることにした。

10月 8日 福岡空港出発:機内泊
10月 9日 オークランド空港着:2泊
10月10日 オークランド観光
10月11日 朝クライストチャーチへ:2泊
10月12日 市内観光
10月13日 クック山経由でクイーンズタウンへ:1泊
10月14日 ミルフォードサウンドへ:テアナウ2泊
10月15日 ダウトフルサウンドへ
10月16日 ダニーデンへ:1泊
10月17日 オークランド空港出発:機内泊
10月18日 福岡空港着

NZへの往復航空券は、10月で少し高くて8万7千円(KOREAN AIR)。私自身はいつも、Fukuoka~Auckland を、インターネットで格安航空券の中でも最安値のものを探し出して利用する。これまでで、最安値はアジアナ航空と韓国航空乗り継ぎの往復5万2千円。しかし、韓国航空はソウルのインチョン空港でAuckland 行きの乗り継ぎまでに6時間ほど待たされたり、帰りはソウルに1泊しなければ日本までの便がないということが時に起こる(日程によって違うらしい)・・・不便さがあるので、時間にゆとりはあるがお金にゆとりはないという人意外にはあまりお薦めできない。

ホテル代は、日本と違って1部屋単位。3人でtwin room 一部屋を予約したので、格安で済んだ。ツインと言ってもたいていキングとダブルサイズベッドのツインなので、悠々と(姉と私がking size で一緒に)寝ることが出来る(小柄な人なら4人でも大丈夫に違いない)。インターネットだからできる直前予約のディスカウントを利用し、そこそこ満足できるホテルだったが、off season (シーズンオフ)で、平均1泊一部屋100ドル(当時交換レート1NZ約$70円)くらいだったので、一人当たり3千円足らずで済んだ。バックパッカー用ホテルでもシングルだと30ドルくらいするので、2~4人はとても経済的な人数だ。それに、たいてい、一日中観光して帰って寝るだけだから、そんな高級ホテルである必要はない。アクセスの良い、清潔なホテルを選ぶことにしている。幸い、今回はどこのホテルも追加料金を取らなかったが、普通、ツインルームに3人泊まると、タオルやシャンプーなどの備品代だろうが、20ドル前後の追加料金を取るところがある。

オークランドからクライストチャーチ、ダニーデンからオークランドの飛行機は、NZ AIRの特別割引が予約できたので半額以下の値段だった。(*これは、インターネットで早めに予約すれば通常の半額以下で席が確保できるので、予定が早くに決まっていればお薦めです。ただし、キャンセルした場合料金は戻ってきませんのでご注意を。)今回旅行のハイライトは、Doubtful Sound(ダウトフルサウンド)からDanedin(ダニーデン)まで足を伸ばしたことだ。
(*今回、旅行写真(CDもプリントしたものも)どこぞへ?かき消え、どこを探しても見つからないので、2007年の同時期同場所の旅行写真を使うことにしますので悪しからず。関連ウェブサイトも参考にご想像ください。)
(続く)

2008年8月3日日曜日

ベテラン卓球大会


Veterans 9th Graded Open Doubles Tournament 
2 August '08
昨日、土曜日、地域の40歳以上の卓球愛好者のための卓球大会がArena 5のジムで開催された。Arena は、Palmy にある大規模イベント会場で、先週のホームショーもArena 2、3、を使って催された。
かなりベテランのプレーヤーからビギナーまで、足の悪い人から太って動きもままならない人まで、様々な(100人ほどの)老若男女が参加しての和気藹々とした友好試合だ。今回はダブルスのみで参加費15ドル。6ペアで1チーム(上級者からビギナーまでクラス別)で、各チームの優勝者には豪華な?賞品が授与される。
昨年の第8回トーナメントには、私も誘われて参加したが、それ以来全く卓球をする機会がなく今年は見るだけにした。70歳以上(?でも、多分60代)と思われる年配の方が多かった。健康のためにしているのだろう、異様に太った男性と女性。玉を拾いに行くのも拾い上げるのも速く動けず大変そうだ。関節炎か何か患っているのだろう、足を引きずって歩いている人たちも多い。でも一向にわびれる風もなく、勝ち負けにこだわらず参加して楽しんでいる。
NZには、リタイアしても家にこもりがちにならず、こういった適当な運動と社交を兼ねた運動クラブに参加する人たちがとても多い。日本だと、家族の繋がりが深いので歳を取っても、孫の世話や家族の世話で忙しく明け暮れて一人暮らしの寂しさを味わうこともあまりないだろう。だから外とのかかわりを持たないお年寄りが多いのではないだろうか。老人会に参加しても、することと言えば、囲碁やおしゃべりや食べることくらいだろう。足を引きずりながらでも、卓球を楽しむこちらの国のお年寄りとずいぶん違うような気がする。核家族が徹底している国ならではだろうと、妙に感心してしまった。
14の卓球台を使って、ベテランたちが、試合を楽しんでいるのを見るうちに、参加しなかった自分が悔やまれた。卓球は、世界的強豪選手たちのように曲芸的早業で打ち返す必要もないし、自分の調子に応じてゆっくり球を打って返すだけでも反射神経や集中力を養い、ボケ防止にも良いに違いない。このジムで火曜日と金曜日、朝9時から卓球クラブの日だと言うので来週から参加することにした。1回行くたびに3ドル(約250円)払えばいいということだ。月額決まって払うとなると躊躇するが、これだと「行ける日に行きたい」くらいの気持ちで真剣さのない?無精者(?ではなく多忙でいけないこともあるのです:いいわけ)の私には持ってこいのクラブだ。私も、歳をとっても(既に歳?!)適当な運動を続けていたいものだ。