2011年3月26日土曜日

Praying for Japan

From Palmerston North
土曜日、26日、パーミー(Palmerston North)の中心街の公園、スクエア(The Square)で、恒例のイベント、フェスティバル オブ カルチャ-ズ(異文化祭?Festival of Cultures)が、催された。

このフェスティバルで、最近発足した日本交流会(Japan Association)と、IPC(International Pacific Collage) の日本人留学生の有志が協力して、日本の東日本地震の被災地の人々のために、赤十字(Red Cross)の協力の下、義援金募金活動をすることになった。

朝から、あいにくの雨だったが、ずらりと並んだテントには、たくさんの国と地域からの移民による、それぞれの文化やライフスタイルの展示や、食べ物。中央の舞台では、民族舞踊や音楽。雨だから出足が悪いだろうという予想に反して、たくさんの人々が、傘をさして、あるいは濡れながら、楽しんでいる。

募金は、日本人会とIPCの留学生有志が、2~3人で組んで、1時間交代で会場を回る。私は、11時から12時まで担当。

"Pray For Japan" の看板、募金箱、募金してくれた人へお礼の、赤十字のマークにThank You と書かれた丸いシールと安全ピン付き折鶴を入れた袋を持って、会場を回る。「募金お願いします!」と言っても、もちろん、通じないので、英語で・・・大きい声を出すのは、恥ずかしくてとても勇気がいる。でも、恥ずかしいなんて、言ってられない・・・少しでも、たくさん義援金集めなくては~~!


ニュースで、悲惨さを知っている人たちが、同情の言葉と共に、次々と募金に協力してくれる。本当の嬉しい!と、だんだん、声も、出てくるから不思議だ。

IPCのテントの前では、浴衣を着た留学生たちが、募金箱を持って、お願いしますコール。




募金してくれた女の子とお母さんに、折り鶴のプレゼント。




テントの中では、募金箱を置き、被災地に募金と千羽鶴を送るために、テントを訪れた人たちに、折り鶴の折り方を教えてている。

私も、折り鶴しか折れなかったので、二日前、インターネットで調べて、にわか仕立てで覚えた風船、指輪、箱、花などの折り紙を、たくさん折って持って来て、訪れた親子にあげると、とても喜んでくれた。
小さな国NZの、人口7万5千人ほどの小さな街、パーマストン・ノースでも、たくさんの人々が、日本を応援してくれていることが分かって、本当に嬉しい一日だった。

被災地のみなさん、どうぞ、頑張って、苦難を乗り越えてください。地震で被災したばかりのNZの人たちもたくさん応援してくれています!

2011年3月17日木曜日

Japanese Association in Palmy

パーミーの日本人会発足
クライストチャーチ大地震の後、まだ復興の大混乱の中にあって、今度は、日本が!とてつもない地震、大津波、原発爆発、の三重巨大災害に見舞われた。史上最悪のシナリオで、日本は、今、大打撃を受け、沈没しそうな非常事態となっているようだ。

遠く離れたここNZも、毎日日本の大地震のニュースで、クライストチャーチ地震のニュースは、隅に押しのけられた状態だ。クライストチャーチのために、何か出来ることを、と考えているうちに、今度は、愛する母国が!!!両国の災害ニュースに、パニックになったのは私だけではなかった。ここ、パーマストンノース(愛称:パーミー)に住む数人の日本人が、NZと日本のために何かしたいとの思いで、立ち上がったのだ。

数日前の新聞の一面に、大きな写真入りで、パーミー在住日本人の女性グループが、Japanese Association of Palmerston North を立ち上げた、趣旨の記事が載っていた。いずれも、家族で、結婚して、あるいは仕事を得て、パーミーに永住している人々だ。

これまで、パーミーで2~3人の日本人しか知らなかったので、もっとたくさんの日本人が住んでいるということが分かり、すごく嬉しかった。

すぐに、会長のChiho さんに連絡を取り、お会いし、お話を伺った。曰く、先月のクライストチャーチの地震をきっかけに、自分たちにもできることを何かしたい、との思いがつのり、親しく交流のあるお友だち数人と、話し合ったとのこと。そして、「パーミーに住んでいる日本人同士が、交流の機会を持ち、情報を交換し、日本の文化を伝えるために、日本人だけの閉鎖的な集まりではなく、日本に興味ある人たちとの交流も含めて、活動して行きたい」との趣旨で、同志を募り、7人の役員で会を運営することになったそうだ。まだ、立ち上げて3週間ほどで、すでに、会からクライストチャーチに、多大な寄付金や物資を送ったという。

今、世界中に散らばっている日本人が、母国のために、何かお役に立ちたい、と願っている。いえ、日本人だけではない、前例がないくらい、多くの国と地域の人々が、同じ気持ちを持って援助の手を差し伸べてくれている

聖書の「善きサマリア人」のたとえ話のように、敵対意識を持った国同士でも、困った時は助け合う気持ちを、困難の時だけでなく、いつも持ち続ければ、地球のあちこちで、宗教やイデオロギーの違いから、憎しみ合い、殺し合う人々も、いなくなるだろうに・・・・

日本が、戦後の荒れ野原から、あるいは、阪神大震災など、数々の災害から、不死鳥のように蘇って平和な国として繁栄してきたように、また、今受けている災い、困難を克服し、見事に立ち直って欲しい。そして、その大和魂を、愚かな殺し合いで、あるいは、専制政治で、国を、国民を、滅ぼして行っている、どこぞの国や指導者達に、見せつけてやって欲しい・・・

と、心から思う。

2011年3月10日木曜日

NZの隅々を旅するの記9-10c

10月14日 Paihiaへ
Kawakawa からは、11キロメートルほどの所にある、Bay of Islands の美しい海辺の街、今日からの宿泊地、パイヒア(Paihia)を、目指す。ロビンは、途中、遠回りして、ラッセル(Russel)の半島巡り(地図参照)をしながら、パイヒアのホテルまで送ってくれた。でも道々、彼女の家族の話、旅行の話などで、おしゃべりに夢中になり、どこをどう通ったのやら??

Paihia は、数年前訪れ、Blue Pacificというアパートメントホテルに1泊した。このホテルは、Bay of Islands の美しい海を眺望できて、お部屋もとても素敵だったので、姉がとても気に入っていたけど、町から少し外れてる。今回は、車ではないので、歩きまわるのに便利な町のど真ん中のホテルにした。

(写真:ホテルの外観)やがて、ホテル、 ウォターフロント・スイーツ(Waterfront Suites)へ。タクシー料金は、240ドル。色々親切にしてもらったお礼に、少し足して260ドル払う。17日、早朝、のKerikeri空港行きのピックアップも、60ドルで、契約。

(写真:お部屋から海を望む)今回のアパートメント式ホテルは、インターネット予約する時、1階の海の見えないお部屋は、安いけど、3日連泊なので海の見える部屋を、と、頼んだ。交渉の末、部屋代は、何故か、1階の海の見えない部屋より安くしてくれたのだが、お部屋を見て納得。確かに海は見えるけど、両側の飛び出た建物の間で、海は、真正面に、ちょっぴりしか見えない。でも、ま、全く見えないよりましだし、何より、安いんだから文句は言うまい・・・それに、ほとんど毎日、観光で出まわって、寝るだけだし・・・

広々としたリビングにアイランド式キッチン。 (写真で少し見える)右側のドアを出ると、エレベーター室があり、隣室と共有。これまで、2階建てのホテルで、エレベーターを敷設しているところは、皆無だった。重い荷物を運ぶ時や身障者などのためにも、とても親切設計だ。




主寝室は、シャワーとトイレット付き。写真の奥が主寝室。右手前に2ベッドルーム。左のドアは、外(階段室)につながるドア。






2部屋の真中にあるバスルームは、バスタブ、トイレット、洗濯機、乾燥機付き。

ま新しい建物で、とても気持ちがいい。3泊で、628.58ドル。1泊一人当たり70ドル(約5000円?)位だから、リーズナブル。ここは、選んで

予約しておいた、明日、明後日のバスツアーの支払いをしに、ウォーターフロントのフラーズ(Fullers)ビルへ。明日は、90mile beach からCape Reinga のコース。明後日の Hokianga Waipoua Forest tour とセット料金にすると、安くなるので、3人分、両ツアー料金、602.10ドル支払う。

夕食は、ロビンが推薦したオンリーシーフード(Only Seafood)へ。途中レストランの横の広場で、ファーマーズマーケットが、開催されていたので、朝食用に、その場で絞ってくれるオレンジジュース、キーウィフルーツを買い込んだ。名前の通り、シーフードだけのレストランだ。3人共、小食なので、多すぎないよう、チップス、シーフードサラダなどをシェアして食べる。ここも

2011年3月2日水曜日

NZ's two minutes silence and national anthem

2分間の黙とうと国歌
大余震から1週間後の昨日、火曜日、12時51分、地震発生時に合わせて、NZ全国民が一斉に2分間の黙とうを捧げた。半旗(half mast flag)が各地ではためき、ラジオやテレビは、2分間、国歌(the national anthem)を流し、国民がそれぞれの位置で黙とうを捧げる。私は、昼食の支度の途中で、ラジオで国歌を聞きながら、黙とう。

NZの国歌は、公用語のマオリ語と英語で歌われる。心に沁みるとても美しい、覚えやすいメロディーだ。何かにつけて歌われるので、知らず知らず一緒に口ずさむようになった。

"God Defend NZ" 、「エ・イホア・アトゥア・・・神*よ、守りたまえ、自由の国NZ。神の下に、多様な宗教や人種が一緒に暮らす愛と自由の国を、争い、ねたみ、憎しみ、腐敗、侵略から、素晴しい国を、神*よ、守りたまえ・・・」と言った、意味の歌(下記:一番のみ)。(*間違い訂正m--m)

(Maori)
E Ihowa Atua, O nga Iwi Matou ra Ata whakarangona; 
Me aroha noa Kia hua ko te pai ;
Kia tau to atawhai; Manaakitia mai Aotearoa

(English)
God of nations at Thy feet, in the bonds of love we meet
Hear our voices, we entreat, God defend our Free Land.
Guard Pacific's triple star, from the shafts of strife and war
Make her praises heard afar, God defend New Zealand.

一方、日本の国歌はどうだろうか?「君が代は、千代に八千代に・・・」は、多分、多くの国民にとって、特にあの悲惨な戦争を経験した人々にとって、あまり口ずさみたくない、重い歌詞に違いない。

君が代は、「天皇の御代(あるいは御世)」、神格化された天皇を称える歌だ。古今の昔から、日本は天皇制によって統治され、他国から侵略されることもなく安泰な国家を保って来た。明治維新後、その神格化された天皇のために、お国のために、と、忌まわしい侵略戦争に刈り出され、命を落としていった人々のことを思うと、素直に国歌を口にすることができないのは、私だけではないだろう。

NZでは、普段でも、あちこちで国旗がはためいているけど、日本では、日の丸国旗は、軍国主義の、あるいは国粋主義のシンボルとしての印象があまりにも強く、何か国家的行事があっても掲げる家庭は少ない。

西洋民族のキリスト教の神を基本とする国歌と、日本の現人神を信奉する国歌。NZに住むようになって、日本にいた時より、もっと良く日本を理解し、日本人であることを誇りに思うようになった。それだけに、いつも流れているNZ国歌を、いつの間にか一緒に口ずさむようになり、一方で、「君が代」を歌うことに抵抗がある自分自身を考えると、複雑な心境になる。