2013年7月24日水曜日

Water Fluoridation in NZ

フッ素添加水道水に思う
NZは、アメリカに次いで世界で2番目に水道水にフッ素を添加(water fluoridation)し始めた国だという。今、NZのあちこちの自治体で、水道水フッ素添加に疑問視する声、あるいは反対運動が起きている。

日本も以前フッ素添加を試みた自治体があったが、斑状歯(fluorosis)の問題が起こり、フッ素添加しないようになって久しい。

健康おたく、"health paranoid country"、日本から来た私は、もちろん、フッ素添加水なんか飲みたくない。行政が政治経済的目的のために、虫歯を減らして、医療にかかる予算を削減しようとフッ素添加し、国民の選択の権利を奪っていることに腹が立つ。

数人とフッ素添加水について議論した。

科学者B曰く
「フッ素添加で、NZの子供の虫歯は激減した。ある程度の添加では、人間の体に影響は無い。これまで、虫歯の激減、身体的に影響はないということで、フッ素添加水は効果的だ。フッ素添加は不可避だ。」


「激減したと言っても、完璧になくなるわけではない。健康を害さないという科学的根拠も証拠もない。国が国家予算削減のために、国民に毒を盛っているようなもの。」

環境学者C曰く
「フッ素添加で虫歯が激減した。歯ブラシや歯磨き剤を買うお金もない貧しい子供たちの虫歯を防いでいる。政府の健康予算に貢献している」


「貧しいから歯磨き剤を買えないのではなく、教育が貧しいから、生活保護を受けて、そのお金で、ジャンクフード(junk food)を買っている親が多いだけ。教育をしないから、歯の磨き方一つ知らない国民が多い。歯ブラシも、まるでワニの歯磨き用みたいに、硬くてでかい!しかも1種類しかない。日本には、歯ブラシだけで何百種類もあり、選べるし、TVで教育番組が洪水のように放送され、その他フリーペーパー、広告、歯科衛生士による、歯磨きの指導、など、徹底して教育されている。この国で、そんな番組見たことない。くだらない輸入番組ばかり放送している。まったく 医療後進国だ!」

(科学者、環境学者からして、こんな意見を言うNZは、ほんと、後進国だよ!)


「フッ素は合成化学物質で毒だということは分かっている。水道水に添加と言うことは、あらゆる飲食物にもフッ素が含まれるということでしょ。それに、歯磨き剤、マウスリンスにも含まれている。人それぞれ身体的条件が違うし、フッ素曝露の度合いも違う。赤ちゃんのミルクに水道水は使わないでくださいと注意書きがある。つまり、取り過ぎは毒だということを認めているからでしょ。それに、この国の人たちは、若いのに関節炎(arthritis)になる人が非常に多い。60代前半で、すでに背中の曲がっている人も多い。これらの病気とフッ素添加との関係はまだ分かっていないけど、合成化学物質を口から入れること自体、健康に良いはずがない。私には、少なくとも、添加、無添加水を選ぶ権利がある。国が、国民全体に毒を盛るような国、この国は、まさに医療後進国だ!」

云々・・・と、議論は物別れのまま。

こんなことを言っても、多くのNZ国民は、ほとんどが、フッ素添加で虫歯が激減したというデータを信じて、反対しない。わずかにハミルトン市(Hamilton)が今度の選挙で民意を問うという。Hastingsの歯科医も警告を発している。

とは言え、私も、充分に反論できるだけの知識がないので、あれこれ、ネットで文献を調べて見た。あるある!賛成派、反対派のウェブサイトが溢れている。

賛成派の要旨は、「虫歯予防に効果的。濃度0.7ppm以下の添加なら問題ない」

反対派は「毒物を強制的に添加することが間違っている。国民全体に薬物治療を強制的に行っているようなものだ。国民には、選ぶ権利がある。安全だという科学的証拠は何もない。毒物だから、過剰摂取は、死をもたらす。フッ素曝露が体に悪影響することは明らか。」などなど・・・

フッ素だけでない、塩にはヨウ素(iodide)が添加されている。スーパーマーケットに売っている精製塩も岩塩も ヨウ素添加(iodised)と書いてあり、自然塩は売っていない。海藻などを食べない国民だから、これも、国が親切にヨウ素添加した塩を売るのだ。私たち日本人は、海藻を良く食べるので、ヨウ素添加塩は要らない。日本から家族が来る時、自然塩を持って来てもらって使っているけど、そうそう沢山は持って来れないから、普段使いは、ヨウ素添加塩を使っている。

ヨウ素添加/無添加塩はある程度選べるけど、フッ素添加/無添加水道水は、選べない。郊外のファームに住めば、タンクに溜めた雨水を使えるけど・・・

この国は、売春も、ゲイの結婚、も認めた鷹揚な国、・・・だから添加物にも鷹揚なんだろうか?それとも気にしない、気にしない、のeasy goingな国民性?

長い間、フッ素塩素添加水、を飲み、たっぷり泡立てた合成洗剤で洗った後濯がない食器類で食事をし、ヨウ素添加の塩をなめて来ただろうに100歳以上のお年寄り(603人だとか?)もけっこう多い。

癌になる原因の一つは、ストレスだという。ストレスが免疫力を低下させ癌細胞を生じやすくさせるという。あれこれ、神経質に考えて、健康食品を食べ、無添加を叫ぶより、気にしない、気にしない精神で、のんびり余生を過ごした方が良いのかも?

あれこれ、フッ素添加のことを調べているうち、どうせ、残りの人生、わずかになってきたんだし、この国に永住する以上は、こんな添加物気にしないで楽しく生きて行きたい・・・と思うようになって来た。

2013年7月15日月曜日

旅の記11-14 最終章

北島の旅 7
4月5日(金) AKL空港へ

いつも次の日のことが気になると眠れない。ウトウトするうちに4時半頃、目が覚めてしまった。起きて、もう一度荷物の点検。5時過ぎても、wake-up callは、鳴らない。6時にタクシーを頼んでくれているかも怪しいので、チェックアウトする時間も含めて、早めにレセプションに行った。

お部屋には、いつも2人分のタオルしか用意されていないし、wake-up callもなかったので、フロントにいた男性に、その旨を告げる。恐縮して、担当は誰でしたかと言う。・・・インド系の人でした。・・・よく注意しておきます。申し訳ありませんでした・・・(はい、でも、もうここには泊りません)

幸いタクシーは呼んでくれていたので、乗り込む。このヨーロッパ系?の運ちゃん、ご愛そうがすこぶる悪い。話しかけても、ろくに返事もしない。朝、出がけに夫婦喧嘩でもしたのかしら?

朝早いせいか、空港には15分足らずで着いてしまった。空港に着いて、この運ちゃん、お金を受け取っても、仏頂面で、車のトランク(boot)を開けるレバーを押しただけで、運転席から出て来ようともしない。幸い荷物はそんなに重くはないので自分たちで出したけど、普通は、降りて来て、荷物を出してくれるものだ・・・この人、もしかしてアジア人嫌いの人種差別主義者(racist)?こんなことなら、Colinの言うこと聞いて、車で来ればよかった・・・

早く着き過ぎたけど、小さな空港の中は、結構人でいっぱい。ここも、空港のアテンダントはひとりで、荷物の受け付けから、搭乗案内まで何でも屋のようだ。

小さなプロペラ機に乗り込む。コックピットは、オープンで、パイロットも操縦機器類もまる見え。副操縦士は、フライトアテンダントも兼ねている。客席は左右合わせて19?か20席。天井が低いので背の高い人は頭がつっかえそう。

夜明け前のフライトで、やがて雲の向こうがオレンジ色に輝いて来る。




オークランドの街の明かりが見えてくる。35分のフライトで、7:25am、無事AKL国内空港に着陸。国際空港まで歩いて行く。荷物預かり所(Luggage Storage)に行って姉たちのスーツケースを受け取り、チェックインカウンターへ。姉たちは、ちょっと贅沢して、今回プレミアムエコノミー(premium economy)のチケットなので、チェックインカウンターはプレミアム専用カウンターで、並ばずにすぐできた。9:40発の便には間があるの階上のカフェでスナックを食べて最後のおしゃべり。


9時頃、ミレニアム客専用の入り口に姉たちを見送って、国内線空港へ。10:05発のパーマストンノース行きの飛行機に乗って帰路に着く。

姉たちと過ごした楽しくて賑やかな4週間も、あっという間に終わり。無事見送って、ホッと肩の荷が下りたと同時に、強烈な寂しさに見舞われる。今度はいつ来てくれるかな~~・・・・・

2013年7月10日水曜日

旅の記11-13

北島の旅 6
4月4日(木) Kauri Museum

今朝はホテルで朝食をすることに。コンチネンタル15ドル也。ヨーグルト、ミューズリ、フルーツ、トースト、ジュース。好きな物を選んでよいというので、お皿を持ってコーナーのテーブルに取りに行く。何だ~これ~~!ヨーグルトもフルーツもミューズリも全部箱入りあるいはカップ入り。スーパーマーケットで買ったものをそのまま置いてあるだけじゃない?!これなら、残ってもまた翌日出せるし、洗わなくて良いし・・・便利に違いない。南島のWilderness Lodgeとは、えらい違いだ!

さて、今日は、MatakoheKauri Museumへ。
Whangareiから1号線を下り、12号線へ入る。GPSを入れようと、あちこち触るけど、ウンともスンとも言わない。昨日、悪口言って消したから、怒ってスト起こしたのかな?GPS も携帯もないのでは、さすがに不安なので、Rentadentに行って、Colinに、「GPSが動かない」と言うと、彼、機械の裏側のどこかを触った・・と、思ったら、アラ、ONになった!エ~~どこ触ったの~~?!・・裏にスイッチがあるよ・・結局、彼に行き先をセットしてもらって一件落着。Colinは、「携帯もないし、日本語のGPSが必要だね~~?!」とニヤニヤしながら言う。嫌ナヤツ~~;

さて、今日は、どうやらすんなり現地へ着いた。小雨模様でお天気悪いけど、結構たくさん人がいる。入場料、大人25ドル、シニア、20ドル。こう言う時は、もちろん、ニコニコシニアです~~^^vと申告。

トイレに行くと、その手前の部屋に屋久杉とカウリの樹を比較した展示があった。何だか嬉しくなる。

展示室がたくさんあるので、マップ片手に、まずは、Sterling Wingへ。

Sterling Wing
1880~1920年当時の植民地時代風の、家具や飾り物、食器類が、当時の衣装を着たマネキンと共に再現された6室。

1820年代のウェッジウッド(Wedgwood)の素晴しい食器の数々。


Bride's bedroom。カウリをふんだんに使ったベッドや家具類。






Smith Wing
カウリの樹の大木や様々な製材用工具、カウリの樹伐採のために働く人たちが住んでいたブッシュの中の小屋など、開拓時代をしのばせるものが一杯。

カウリの樹をくり抜いたバスタブもある。






Volunteers Hall
展示室の端から端まである世界一大きなカウリの板。22.5メートルだって!

ドミニオンビール醸造会社(Dominion Breweries 1930創業)の創始者 Sir Henry Kelliherの委託で製作された会議室用、テーブルと椅子。樹齢1800年のカウリを使い、マオリの伝統的模様を組み込んだ重厚な家具。





Otamatea Boarding House
1910年にKaipara Districtに建てられた2階建ての宿泊施設の実物大のレプリカ。Matakoheは、Kaipara港(Kaipara Harbour)に出入港する船を利用して1900年前後にヨーロッパからの移民(Pakeha)が往来した町。

建物の中は、泊り客の部屋や会議室など、再現されていて、とても興味深い。(*ちなみに、Kaiparaのkaiは、food, paraはking fernのことで、マオリのある首長が、この地で、甥が、king fern の根から採ったスターチを食料にしていたのを見て付けた地名だという。)

Sawmill Exhibit
当時のカウリ製材所の展示室。


Kauri gum collection room
世界一のカウリガム(amber:琥珀)のコレクション室。1万年~3万年前のカウリの樹脂の化石でいっぱい。カウリガム(琥珀)で作ったアクセサリーや像など、貴重な作品の数々!”すばらしい”!

昆虫(ゴキブリ?)が閉じ込められている。4千3百万年前のものと推定されている石炭にくっついて掘り出されたカウリガムもある。


Tudor Collins Wingには、カウリの樹で作った家具が一杯。


 見どころ一杯のこのミュージアムは、じっくり見ろうと思うと、2時間以上たっぷりかかる。もう一度ゆっくり見に来たいところだ。

少々疲れたところで、最後の出口から出た所は、お土産品店・・うまくできてる。あれこれ物色していると、突然ハンドマイクを持った男性が、「Mitsubishi car NO.xxxxx・・・」と呼びかける。一瞬、ア~~、私の車に違いない!ドキ~~!・・・窓から外を見ると、駐車している車のライトが点けっぱなし!やっぱり私だ~~;・・・「ハ~イ!私です~~!ありがと~~!」と、男性に応えながら、ダ~~と外へ飛び出した。ライトを消して、キーを差し込み、エンジンをかける。ハ~~、バッテリー上がってない~~!良かった~~!

出口で、受付にいたKiwiの中年の女性が、日本人ですか?と親しく声をかけて来た。・・そうです。・・・ 私は、屋久島に2度行ったことがあるんですよ。あそこは素晴しい所ですね!何度でも行きたいところですよ。・・マ~、そうだったんですか!私は、九州の出身ですけど、まだ行ったことないんですよ・・など、しばらく楽しいお話をしてミュージアムの外へ。

ミュージアムの敷地内には、カウリの樹で建てられた当時のポストオフィスも移転して展示している。

その向かい側には、当時のままの教会も。その隣のカフェで、ランチ。

さて、帰りましょ。と、元来た道を戻りながら、途中で給油しなければと思いつつなかなか給油所が見つからない。12号線へ出て、30分ほど走ると、やがて道のわきにガソリンスタンドと食事マークのある標識があり、左へ曲がれのマーク→。左へ曲がる・・・家も何もない田舎道へどんどん入って行く・・・悪い予感がして、Uターン。

元の12号線へ戻り、また走り始める。しばらく行くと、また同じ標識が立っている。性懲りもなく、また→に従って右へ。またまた、田舎道で、道を聞こうにも家も見当たらなければ人ももいない。少し家の集落が見えた所で出て来た車の女性に、尋ねると、まだずっと先へ行くと、スーパーマーケットのあるショッピングセンターがあり、そこを通り過ぎてずっと行くとありますよ・・・。

やがて見つけたショッピングセンターを過ぎると、とたんに家も何もないまっすぐな道路がどこまでも続くのが見える。またまたた、悪い予感してショッピングセンターに戻り、小さな銀行があったので尋ねると、やはりもっと先まで行けという。元来た道を戻るべきか、はたまた、教えてくれた道を行くか?ここまで来たからには、行こう!

しばらく、何もない道をひたすら走る・・と、やがて右手に、大型トラックが数台停まっている給油所らしき敷地が・・・そこへ入って行く・・・トラックの運ちゃんに、どうやって給油するんですか?・・・ここは、トラック専用の給油所だよ。あんたの車はもっと先にあるガソリンスタンドだよ。・・・エ~~、まだ先に行くの~~?!

また、しばらく走る。あった~~!やっと、スタンドがあった。満タンにして、ここから、12号線に出る近道は?と、尋ねると、また、来た道を戻るしかないという・・・・ナ~~ンてこと!もう、日が暮れそう><;!しょうがない…また、来た道を戻ってやっと12号線へ出た・・・と・・・ナ、ナンッテコト!200メートルも行かないうちに、左手にCALTEXのガソリンスタンドが~~!!!

GPSに、近くのガソリンスタンドを教えるらしいボタンがあったのに気づいたけど、めんどくさいから使わずに走って来た結果がこれ。ガソリンスタンドと食事のマークの標識は、近くの小さな村が、おらが村のカフェとガソリンを使って、金落としてけろと、経済発展を狙って自分の所に人を引き込もうという魂胆に違いない。そう思えば、少しは、地元にお金を落としてあげたんだから、決して無駄なドライブではなかったのよ・・・そうそう、人生無駄なんて一つもな~い!

Whangareiにもどり、車をスーパーマーケット(Pak'n Save)の駐車場に置き、韓国人経営の日本食レストランで、夕食用にお寿司の持ち帰りを作ってもらってホテルに戻る。

その後、レンタデントのColinに電話。明日は、車を空港に取りに来てもらうように約束していたけど、朝暗いうちに出て迷って飛行機に乗り遅れてははいけないので、タクシーで行きます。車はホテルに取りに来てください。・・ 空港までは、20分もあれば十分だし、GPSを使わなくてもまっすぐの道で迷うことなく行けるよ。・・・20分くらいだったらタクシー代も安いし、いいんです・・・分かったOK.ほんじゃ、元気でね・・・

サ、明日は、6:50発の飛行機だから、5時に起きるよ。レセプションにタクシーと5時のwake-up callを頼んで、荷物の整理をして、しばし、これまでの珍道中の旅の話で賑わって、お休み~~

2013年7月4日木曜日

旅の記11-12

北島の旅 5
4月3日(水)Waipoua Forest

今日は、過去2回行こうとして、行けなかった、姉たち悲願(?)のWaipoua Forestに、カウリの樹のファミリーに会いに行く予定だ。

3月にメールでWhangareiのインフォメーションセンター(i-SITE)に問い合わせたところ、Waipouaには、レンタカーで行くのがお勧めということで、レンタカー会社2社を紹介してくれた。そのうち Avisはインターネット予約サイトが使いにくく、×。もう1社のRentadentに問い合わせメールをしたら、すぐに電話をしてきてくれた。親切で陽気なKiwiらしいColin(マネージャかな?)と、話しているうちに信頼できるという気がして、ここに決めたといういきさつがある。

10時に、その陽気なColinが車を持って来てくれた。Colin「何かあった時は、携帯に電話してくださいね」私、「それが~~・・・携帯、Waihekeのお宿に忘れて来たもので~~;」「だいじょう~ぶ!GPSあるから」・・・Colinが、GPSに目的地をWaipoua に設定してくれた。

GPSが付いているし、何とかなるでしょ?しゅっぱ~~つ!

1号線をオークランドの方へ向けて下り途中14号線に入り(map)、Dargavilleから12号線を北上する。やがてWaipoua Forestの看板が見えてくる。と、ここまでは良かった・・・途中で右に道を曲がりしばらく行った所に建物がある。どうやらここがVisitors' Centreらしい。中に入り、案内図(1ドル)を買い、マオリ人の女性が説明してくれる。小さな地図で分かりにくいけど、彼女の指差す方向をたどると、12号線を少し元に戻った所に入り口らしきものが書いてある。エ?・・途中、そんな道標なかったけど・・・国道を(State Highway)行くのですか? イエス(彼女は、確かに地図の国道を指差してそう言ったよ?!でも、ここで何か誤解が生じたのだ--;)

12号線を元来た道に戻る・・・行けども行けどもそれらしき入り口は見つからない。近くにいた地元の人に聞いても、入り口をはっきり知らない。何で地元民が知らないの??!!GPSが、うるさく、戻れ戻れ(Turn around Turn around)と言うので、また、元のVisitors' Centreの手前に戻ってしまった。ン?何とすぐ手前に右に曲がる道があるじゃないの!ここを入ればいいんだ。何でさっき、気付かなかったんだろう??広くきれいに整備された登り道を行き始めると、GPSが、再び、次の電柱の所から戻れ(Turn around Turn around at the next lump post)とうるさく主張し始める。も~~、うるさいな~~!Visitors' Centreには用は無いの!!You! lier! Shut Up!この役立たずメ~!Off You Gohooo!

原生林に囲まれた山道を登って行くと、やがて、左にTe Matua Ngahere Short Walk Trackの看板。広場があり駐車。森への入り口の前には、おじさんが、車の運転席でスドクをしながら駐車場の見張り番をしている。2ドルを払うと案内図をくれた。入り口には、靴の泥落とし用の水とマットがあり、ブッシュに色々な病原菌を持ちこまないよう工夫されている。

案内図を見ながら、まずは往復20分と言う一番近い4姉妹(Four Sisters)のところへ。4本の高い樹が4角形に近接して並んで立っている。周りは、樹を傷つけないよう、囲いがしてある。






次は、森の父 Te Matua Ngahere。往復50分。 樹齢約2000年は経っていると推定されている。 高さ約30m 幹周囲16.4m。

ここは、ベンチがあり、数人が座っていた。女の子を連れた夫婦(写真右手前の3人)がいて、私が樹の写真を取っていたら、女性の方が、かたこと日本語で「シャシントリマショウカ?」と、話しかけて来た。北欧のどこかの国(スエーデン?だったか?)から来たとのこと。スチュワデスをしていて、日本にも何度か行ったことがあると嬉しそうに話す。しばらく、英語と日本語交じりでおしゃべりに花が咲いた。

次は、Yakas。7番目に大きな樹 高さ43.9m、幹周囲12.29m触っても良い樹だそう。往復1時間20分!?でも、ここまで来たからには、行かねば!しかし、かなりしんどい行程・・・細い道を降りたかと思ったらまた登り・ヘ~ヘ~、フ~フ~・・の繰り返しの末やっとたどり着いた・・。行きはよいよい帰りは?--;

Yakas。大きな樹!これで7番目だって!

シダの樹に小鳥?


原生林の中は、あちこちに、朽ちて倒れた老木に植物が寄生し、その老木同士が支え合って自然のトンネルを作っている。中には支柱を立てて支えて道を作っているところもある。朽ちた樹も取り除かず、自然のままにしてあるブッシュの中は空気がほんとにおいしい~~!
やっと出口にたどり着いたら、駐車番のおじさんが、次は、Tane Maguta のところだね。左へ行けばいいよ、と親切に教えてくれた。

道を左に走るとすぐにTane Mahuta Short Walk Trackと言う看板が。道端に駐車して中に入るとすぐに森の神様Tane Mahutaが。

樹齢約2000年は経っていると推定される。 高さ約51.5m 幹周囲13.8m。さっき森の奥深くを苦労して歩いた所にあった他の樹と違って、この森の神様は、道路脇近くに立っていて、何だか荘厳さに欠けるな~~・・・

帰りにKauri Museum に寄るつもりだったけど、道に迷って時間がなくなった。今日は、あきらめて、明日出直そう。

さて、これで、姉たちのカウリの樹の家族に会うという希求の?旅を、3度目の正直で、やっと実現できた。ホッv^^;