2008年7月8日火曜日

アジア系移民の増加

2026年には?
NZの人口のうち、アジア系移民の占める割合が18年以内に、2倍に達し、原住民マオリ人の人口を上回るだろうという推計が政府統計局で発表され、今朝、ラジオのニュースやトーク番組は、この話題で持ちきりだ。

現在、NZにはアジア系移民が約40万人で、このまま1年に3.4%増加していくと2026年までには79万人に増加し、全人口の16%を占めることになるだろうという。[参考:2006年の人口調査:アジア系移民 354,552人(人口の9.2%)で、マオリ人口は 565,329人(14.6%)]

今年の4月に、NZの野党政党のひとつ、New Zealand First Party (NZ 第一党:党首はマオリで現外務大臣の Winston Peter )の副党首、Peter Brown(英国移民)が、アジア系移民の増加に不快感を示し、「NZ はアジア人で溢れて、この国で彼らが何をするか保証の限りではない・・・彼らはわが国で自分たちの社会を作り溶け込もうとはしない。その数が増加するほど、危険性も増す・・・云々(参考news)」と発言し、アジア移民だけでなく、大部分の国民から、「自分も英国からの移民なのにracism (人種差別主義)だ」と反感を買い、物議をかもした。だが、米国ほど表立ってはいないけれど、NZ には、彼のような人種差別主義(特に白人至上主義)の人も多いのは事実だ。 

最近、Auckland で、アジア人の店や買い物客などを狙った凶悪犯罪が続いたので、その後、アジア系移民がデモを行ったり、警察が頼りにならないと自警組織を結成し気炎を上げている様子が毎日のようにニュースで取り上げられている。これで、アジア人は、ますますNZ First 党に憎まれる?

今年は、総選挙の年で、ヘレン・クラーク首相率いるLabour Party (労働党)の支持率が下がり、優勢の National Party(国民党)が時期政権を奪取するだろうというのが大方の見方のようだ。総選挙を狙ったかのように、ヘレン・クラーク首相の足を引っぱると思われる内幕暴露本‘Absolute Power (絶対的権力)’という本が出版され、ラジオで毎日宣伝されている。私は、個人的にクラーク首相が好きで、労働党の政策は安心できるものがあるように思う。National Party が政権を取ったらNZ はどう変わるか想像がつかないが、もし民族主義のNZ First が政権を取ったら、アジア系移民は締め出される???とまではなくとも、移民政策はとても厳しいものになるだろうと容易に想像がつく。

9 件のコメント:

shun さんのコメント...

NZ First が政権を取ることはないでしょう。日本の政党で言えば共産党のようにちっぽけな政党だから。
そうNZの白人も海外から来た移民とその子孫で、一体どれほどの白人がマオリの文化を勉強し尊重し、もうひとつの国語のマオリ語を習得しようとしているだろうか。マオリに関心がない白人がほとんどだし、マオリを蔑んでいる白人もかなり多いでしょ。アジア人が白人の文化を尊重しないと鼻息を荒くする前に、自分たちがマオリ文化を勉強するべきでしょう。まったくNZの白人は困る。

Silvereye さんのコメント...

NZでは、オーストラリアと違って、原住民との平和共存の努力はしてるし、あからさまなracism は一般的にあまり見られないし、多民族政策が、世界でもうまく行ってる方でしょ?パシフィックアイランダーズも、マオリも、勉強して頑張ってる人たちもたくさんいるし、要は、教育の問題ではないかしら?
経済的には、ともかく、環境的には、とても住みやすい国ですよ。

shun さんのコメント...

「環境的に住みやすい」といっても霞を食べて生きていくわけにはいかなし。NZに5年住んで、2回石投げられたし、FU○○ You といわれたこともあるし、店で何回かあからさまな差別をうけたこともあるから、人種差別意識を表立って表している人もかなりいますよ。韓国人の友達にも同じような経験をした人を何人か知っていますし。
私が言いたいのは、白人でマオリ文化を尊重している人がどのくらいいるか、と言うことです。以前、国語のひとつなんだから、義務教育を教えるべきでしょ、という意見があったとき、ほとんどの人が、役に立たないということで反対したこともあります。全然尊重していませんね。

hiroppe さんのコメント...
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Silvereye さんのコメント...

私が言う環境とは、単に自然環境のことだけではありません。国の政策、あるいは国策?としての環境です。どこの国にでも、人種差別主義の人々は必ずいます。でも、大切なことは、国家がそういった偏った政治を行っているかどうかです。NZは、民主主義と、平和を希求する国です。日本のような戦争放棄をうたった憲法はありませんが、核の廃絶、核兵器を積んだ戦艦など一切寄航させません。派兵はしていますが、神の名を語って他国に派兵侵略し、石油の利益をむさぼろうとするどこぞの某大国のような、まやかしの民主主義ではありません。私はNZと、日本はそういう意味で似てると思います。日本人は、かつて国益のために他国を侵略し、戦争に負けて、戦争放棄し、心から、戦争を憎んでいます。NZも日本も、そういう意味で他国を侵略することなく、経済発展できる模範国だと思います(これからもそうなって欲しいです)。私は、NZにいて、とてもNZを愛していますが、それ以上に、日本を愛し、日本人であることをとても誇りに思っています。日本の政治家は、国民からあまり、信頼を得ていませんが、少なくともdartyではありません。いつも、言葉が少なく、世界に誤解されているのが悔しいです。アジアのどこかの国の政府は、戦前の日本の残虐行為をたてに、未だに自国民に日本を憎むようプロパギャンダし、国民の言論の自由を統制し、国民の共産主義離れを防ごうと必死です。こんな環境の国に私は、例え経済状態が良いとしても住む気にはなれません。日本の人々に、もっと、NZを理解してもらって、両国がもっと親しくなり、世界の真の平和と民主主義を望む国家として、手をつないで行ったらいいと思っています。このブログを立ち上げたのも、そういう意味もあってのことです。

shun さんのコメント...

そうHIRROPEさんの言う通り、日本は本当に素晴らしい国だと思います。海外に住んでみると日本の文化の美しさがしみじみとわかります。また、日本人の保守的な考え方もいつまでも持っていて欲しいと思います。
西洋では、何でも個人の権利や個性だの文化の違いと、多様性を容認しすぎていると思います。私の子供がNZの小学校で1年生の時に見習いの先生がやってきて1月あまり研修をして行ったことがありました。この男性が、ピアスが好きなようで、耳だけではなく、目の上、鼻とあちこちに付けていたのです。まったく不快でしたが、NZの法律では、取りなさいと言えません。校長先生が鼻のピアスはとってくれるようにお願いしたそうですが、他の部分にはピアスをつけたままでした。学校のPTAの代表にこのことを言うと、彼女もそれは好きではありませんでしたが、文化や個性の多様性を認めなくてはいけないとも言っていました。で、たとえば、パプアニューギニア出身の研修生がほとんど裸のような格好で学校に来たらどうするのか、彼の文化だから仕方がないのか、と聞きました。勿論堪えられませんでした。子供に外見ではなく、内面で人を惹く教育をして欲しいのに、そんな格好で学校に来るなんて、日本では非常識ですよね。このように、日本では非常識が、西洋では結構進んだ考えだ、寛容な態度だと思われています。これは大きな勘違いだと私は思いますが。ちょうど2ヶ月前に新書の「自由とは何か」(2007年)という佐伯なんとかさんが書いた本を読みました。印象に残る言葉がいくつかありました。「自由は目的ではなく、何かをするための手段だ」と「人間には完全な自由などない」ということです。「自由」がなにか崇高なもののように捉えられ、これが人間のあるべき姿だから、自由のために・・・と考えるのは間違いということです。そうではなく、何かの目的遂行のための手段を選ぶのに自由があたえられなければならないと言っています。たとえば、車を運転するのに、どこの教習所で習うのか自由が与えられています。免許習得という目的があってはじめて教習所の選択の自由が求められるのです。自動車を運転する必要もないのに、「通う教習所の選択の自由を」なんていうのはばかげているということです。また、社会に暮らす人間は必ず社会規範や国家という権威によって自由が制限されているわけです。この規範や法律も個人の意思を反映しているわけです。そうしてできたのが、法律や規範で、それは大多数の最大幸福を目的に作られたわけで、民主的なわけです。でも民主的というのは必ず、大多数の意見と異なる考えを持っている人が無視されるわけです。この少数が鼻にピアスを付けて学校で研修をするというのは、日本の社会規範に反するから、これは強制的にピアスをとってもらうことになるんですけど、ここでこの研修生は、個人の自由だと叫ぶことでしょう。個人の自由は社会規範の中でのみ有効だと言うことを教えてあげなければいけないでしょう。と佐伯さんの本によるとこういうことになりますが、私も同感です。あのベストセラーになった「国家の品格」の著者も同じように、個人の自由などこの世にないと言っていますよ。
社会規範なんて、絶対的に正しいものなんてないと思います。そこに住んでいる人達の最大多数の最大幸福を追求しているんですから、地域や国によって異なっていて当然。自分の国の考えだけが正当だと考えているアメリカが、イラクはけしからんと戦争を始めるんでしょう。イラクの法律とアメリカの法律が異なっていて当然です。先ず、信じている宗教が違いますから。ここに多様性への寛容が必要なのでしょう。でも、そのイスラム教徒がNZにきたら、NZの社会規範に従わなければならないでしょう。その国の社会規範を犯せば排斥されるべきでしょう。極端なケースを除き、あの政府で、国民がかわいそうだなんて思うのは、自分の国が絶対的な善だと考える傲慢さでしょう。
日本の社会規範はまだまだ堕落していないと思います。個人の自由や権利を追求すると必ず不和を起こします。また本の引用ですが、「国家の品格」に面白いことが書いてありました。論理的に正しい事と絶対的に正しいは別だということです。たとえば子供の学力を伸ばすのどうしようという時、Aさんは宿題をもった出そうといいます。Bさんはゆっくり夏休みは休ませてあげようといいます。どちらも論理的に正しいですよね。休みを取れば英気が養われて、休み明けから一生懸命勉強できる。また、宿題をさせればそれだけ覚えられる。論理は正しいんですが、論理の出発点が異なるんですね。出発点は個人のそれまでの経験や性格などさまざまな要因でことなります。個人の主張ばかり通していては絶対に問題解決にならないわけです。「国家の品格」では、西洋はこの論理の追求をし過ぎるということです。日本人は論理よりも和を大切にしますよね。これがいいですね。
面白いから、この2冊読んでみてください。
って、なんか本の宣伝になってしまいました。

Silvereye さんのコメント...

shunさんのいう、本の内容ですが、読んではいませんが、ごく当たり前のことを言っているような気がします。人間も動物も、社会の規範の中で生きています。規則があって、リーダーがいて、習慣や文化の違い、言葉の違い、肌の色の違い、様々な違いのある社会で生きていかなければなりません。だからこそ、国家に、リーダーに「品格」と「良識」が求められます。良識とは、得手勝手な、正義を押し付けることでは、もちろんありません。良識とは、「普遍の真理」を知って判断する能力だと思います。不変の真理とは、どのような環境でも、つまり、肌の色や言葉や文化や習慣が違おうと変わらないものです。そして、それは、誰もが、知ることのできる持つことができる、民主主義における自由と正義だと、私は思っています。日本の国家も、日本人も、そういう意味で品格があります。もっと日本政府は、良識の府として世界にアピールして欲しいと思います。

hiroppe さんのコメント...

silvereyeさんの言う事良く解ります。今、日本は韓国から竹島問題で大きく非難をうけています。教科書に竹島問題を掲載した事に対するブーイングです。どのような事が書かれているのだろうかと思っていたら、内容は次のような問題です。「竹島は日本固有の島であるが同時に韓国に於いても同じ事を主張している。」と言う内容のもの、これは全くの歴史的事実を忠実に掲載したものだと思います。このことが教科書に掲載された事だけで韓国の駐日大使は本国へ引き上げました。
何かおかしいのではありませんかと聞きたい私です。

Silvereye さんのコメント...

hiroppeさんの言うとおりです。
日本は、あまりにもおとなしすぎます。はっきり、凛とした姿勢で(武士の魂?をもって?)いつもはっきり、姿勢を、考えを(正論を)、表明すべきです。国民へのプロパガンダのために、日本に対してあることないことをでっち上げて自国民の政府への非難を他国に向けるよう仕向ける近隣国家政府の汚さに、今、日本人は辟易しているのではありませんか?日本人は、おとなしすぎます。品格があるけど、同時に争いを避けるというか、巻き込まれることを避けるというか、見てみぬ振りをする?speak outすることを避ける?傾向が強いようですね。なぜでしょうか?私も、昔は、自分の意見を言えない、とてもおとなしい良い子?だったけど、NZで学生をして、クラスで発言しないと、何も考えを持っていない、無能?な人とみなされるということをひしひしと感じました。今、こうして、ブログを書いているのも、みんなの意見をもっと聞きたいからです。日本人は、いつも黙っています。一方、中国人は、言いたい放題言います。国民性だと思いますが、非難の言いたい放題は、全く論外ですが、彼らに見習うべき点は多いのではないでしょうか?