北島 北部の旅
10月14日 AKL空港~Kerikeri空港
北島北部(Northland:マップ参照)の旅程は、3泊4日。17日に、姉たちは、AKL(オークランド)空港から朝9時半発のNZ航空で帰国するので、十分な時間がない。オークランドと北島北部を往復する時間がもったいないので、今回は飛行機を利用することにした。
14日
11:20 Palmerston North発AKL空港行き
12:25 AKL着
13:30 AKL発 Kerikeri空港行き
14:10 Kerikeri 空港着
パーミー空港から、荷物は、kerikeriまで直行。私たちは、AKL国内空港から、体一つでKerikeri行きに乗り換えればいいので楽だ。AKL国内空港から乗り込んだ飛行機は、何と20人乗りの小さなプロペラ機。でも、満員だ。天井が低く通路は狭く、大きな人は通るのが大変だ。パイロットと副パイロットが乗ったコックピットと客席の間にドアはない。副操縦士が、スッチーの仕事も兼ねているようだ。と言っても、お茶のサービスも何もなし。
雲より下を飛ぶ低空飛行なので、窓から眺めるとキラキラ輝く海、緑の美しい島々、半島、家並み、ファームや羊、森林等が良く見える。まるで地図を見ているようで、楽しい~~!
Kerikeri空港が、また、小さくてかわいい!乗客が降りた後、荷物は、ゲートから入った所の到着ラウンジの床にポンポン置かれる。目の前が出口で、出入り自由だから、乗客も迎えの人もごった混ぜ。番号チェックなんか全然なし。こんな田舎の空港では、荷物を盗って行く人なんて想像もできないのだろう。(写真:今から荷物が降ります)
お迎えの人たちの中に、私の名前?らしき綴りを書いた紙を掲げた女性が立っていた。予約しておいたケリケリ・タクシー(Kerikeri taxis) の人だ。車は、ワゴン車で、大きな荷物も難なく置けた。
私は、助手席に乗り、色々運転手の女性(ロビン)と打ち合わせ。予定では、ケリケリの観光名所を観光しながら、パイヒア(Paihia)のホテルまで乗せて行ってもらうということだった。
途中、ロビンは、チョコレートファッジの味見ができるから、とお土産品店に連れて行く。多分、そこにお客を連れて行けば、リベートがもらえるのだろう。ファッジは、今日は無いということで(ファッジに興味はなかったけど)、せっかくだから、ちょっとしたものを買ってお店を出た。
その後、予定していたチョコレート工場(Makana Confections)に行き、味見をして、できたてのチョコレートを姉がお土産にと買った。すごくお天気が良く、暑くなってきた。ロビンは、チョコレートが暑さで溶けないようにと、自分の家に寄り、氷を入れたクーラーボックスにチョコレートを入れてくれる。何て親切な人。
その後、ロビンは、私が予定してなかった滝を、良いところだから是非行くべき、と、連れて行ってくれた。その滝は、滝つぼを上から見下ろすことができ、しぶきが光を反射して虹ができている。
その名も、Rainbow Falls、虹の滝、なるほど~!下の清流にダブルの虹がとてもきれいだ。ロビン、連れてきてくれてありがとう!
次は、1836年に、建った、英国人ミッションのための商いのお店、NZで一番古い石の建物、ストーンストア(Stone Store)へ。
そのそばにある、英国人の建てた一番古い木造の建物 Kemp House 。そばの樹に、丸いヤドリギが。
近くの丘には、ヨーロピアンが住みつく前、先住民マオリが部落をなしていた跡地、Rewa's Villageの史跡がある。ロビンによると、Kerikeriと言う地名の意味は、dig,dig, つまり、「掘る、掘る」という意味だそうだ。マオリが、土地を開拓して、主食のサツマイモをせっせと植えた土地なのだ。
19世紀、マオリと英国人との交流を経て、マオリ部族の首長、Hongi Hikaは、英語を話せるようになり、英国に渡り、マスケット銃を大量に持ち帰り、Musket Warsと呼ばれる、他のマオリ部族との血の戦い(1810~1830年代)を展開し、次々と征服していった。凄惨な戦いで、このあたりの川は、死体がいっぱい浮き、血の海と化した。丘からは、勝者が敗者の遺体を焼き食べる匂いが充満したという。美しい川も、丘も、たくさんの犠牲者の血を吸った後・・・と、思うと、複雑な気持ちになる・・・
ロビンの勧めですぐそばの教会見学へ。
小さな教会は、出入り自由で、中は、姉の見たかったステンドグラスの窓があり、大感激。ここも、予定になかった所で、ロビンが勧めなければ見過ごすところだった。感謝!
4 件のコメント:
マリオに英語を教えてよかったのかどうなのか、でもそれは昔の事で、何処の国でも、同じ民族同士で戦ってた頃の話しなのかしら?
日本でも、日本人同士の戦争の方が、歴史が長いのじゃないでしょうか?何処の国も、何処の土地でも、同じような戦いがあって、多くの血を流したのでしょうね!現代も大変な世の中だけど、戦後に生まれた事に感謝します。
年代を書き忘れたので後で記入しておきますけど、1810~30年代にかけて、masket warsと呼ばれる、マオリ民族同士の戦争、その後、英国その他の移民との戦争、などを経て、ワイタンギ平和条約がマオリと、パキハ(白人)の間に結ばれたものの、その後も土地をめぐっての、争いが、続いたのです。アメリカも、オーストラリアも、原住民が、いつも虐げられてきた・・・もっと、歴史を勉強したいと、思っています。
訂正します。
マオリも、移住してきたのだから、正確には原住民ではなく、先住民ですね。
本文も訂正しました。m--m
ごめんなさい!マオリをマリオと書き間違いました。マオリの皆さん心からお詫び申し上げます。
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